上手で流麗な文章が「まるで読まれない」根本原因 珍しいエピソードよりも熱烈に意識すべきこと

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グッピーがかわいそうなことになっているのでクレームがくる。コンソメが悪者のように描かれている、クレームがくる。コンソメとわからない表現で書くべき。そもそもホッと一息的なエピソードが好ましい、などの理由で完膚なきまでに修正され、訳のわからない文章になってしまったのだ。

「なんらかの魚の水槽になんらかの調味料をいれてしまい、でもなんらかの魚は無事だった。ほっと一息」という出来の悪い暗号みたいなコラムに仕上がってしまったのだ。

「引き算」で書く文章には限界がある

このエピソードから伝えたいことが見えてくる。これは、なにもこの社内報に限ったことではなく、そして珍しい話でもなく、多くのメディアで起こっていることだ。

書いたら炎上しそうなこと、クレームがきそうなこと、それらを過度に避ける傾向が昨今のメディアに存在する。書き手も書いたら面倒なことになりそうなもの、クレームがきそうなもの、炎上しそうなものを無意識に避けて書くようになっている。もはや書き手は書きたいものを書いているのではなく、書きたいものから書けないものを間引いて書いている。引き算で書いているのだ。

このような主張につなげることで、グッピーの水槽にコンソメを入れたエピソードも、その後の社内報が完膚なきまでに修正されて意味不明な暗号になってしまったことも生きてくる。

これはBooks&Appsというサイトにある「職場で『わたしのコンソメスープ』という意味不明コラムを書かされた時のこと。」というコラムを書いたときの実際の構成手順だ。

この文章で最も伝えたいことは「多くの書き手は引き算で書いている」という点だ。それらは当たり前のように蔓延しているけど、それってどうなの? という問いかけだ。

これがない場合、グッピーをコンソメスープにしたというおもしろエピソードと、社内報を死ぬほど修正されて意味不明な暗号になったというおもしろエピソードだけが存在する。確かにおもしろいと感じてもらえる可能性はあるけれども、それまで止まりの文章となる。

次ページとはいえ「伝えたい」だけでもダメ
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