上手で流麗な文章が「まるで読まれない」根本原因 珍しいエピソードよりも熱烈に意識すべきこと

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だから、書く行為の前には必ず伝えたいことがあるべきなのだ。

いくら文章が上手で綺麗で流麗であっても、そこに伝えたいことがないのならばそれはただの文字列の羅列でしかない。

どんな文章だって誰かに何かを伝えるために書かれるはずで、伝えたくて仕方がない、そんな気持ちから文章が発生すべきだ。逆説的に言うと、その気持ちがないのならば文章を書くべきではない。

さらに逆説的にいうと、業務などで乗り気でない文章をどうしても書かねばならない際も、なんとかしてこの気持ちを起こさせることが重要となる。

ダメ出しをくらった「コンソメスープ」のコラム

では、どんな過程を経て伝えたいことを形にしていくべきだろうか。

少年時代にお金持ちの友人の家に行って大量のグッピーが華麗に泳ぐ巨大水槽に心奪われ、餌をあげてみたいと熱望し、友人の目を盗んで餌をあげたら、それがコンソメの顆粒だった。巨大水槽が一気にコンソメスープみたいになった。こんな事件があったとしよう。

さて、それからかなりの年月を経て大人になってから、職場の社内報に「コンソメスープ」に関するコラムを書く必要が出てきたのだ。社員が持ち回りで、「悩んだ時にコンソメスープを飲んでほっと一息、救われた」みたいな文章を持ち回りで書くコーナーだ。

業務だからと書きたくもない文章を書くのは辛いことだけれども、そこに書く意味を見出して書くことが肝要だ。そこで、このグッピーコンソメ事件を書くことにした。

そこに、このようなおもしろい事件の顚末を書くことで、本当にコンソメスープに救われたのかも疑わしい文章が並ぶ当該コーナーに対するアンチテーゼ的な意味を見出したのだ。

しかしながら、この文章はその社内報の編集長から強烈なダメ出しをくらった。

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