「アドラーの本は難しい」と思われる意外な背景 自らの経験から考えた「劣等感」の向き合い方

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「私の早期の記憶の1つは、くる病のために包帯をした私がベンチに座っていて、私の向かいに健康な兄が座っているという場面である。兄は楽々と走ったり飛び跳ねたり動きまわったりできるのに、私はどんな運動をするにも緊張と努力が必要であった」

こうした自身の病の経験があったからでしょう。1888年、アドラーは医師を目指しウィーン大学医学部に進学します。

アドラーのよく知られた功績の1つに、「劣等感」があります。「劣等感のアドラー」という言われ方をすることもあります。

この劣等感とは、「私は兄より背が低くて嫌だ」とか「体が弱いのがつらい」などのように、誰かと比べて、主観的に「自分は劣っている」と感じることです。

一方で「劣等性」は、客観的な属性で、「背が低い」「喘息を患っている」という欠点や欠損があるだけです。その「劣等性」を人と比べて、主観的に「自分は劣っている」と感じると「劣等感」になります。

しかしながら、この「劣等感」をアドラーは「悪くない」と言いきります。大事なのは、「劣等感をどう生かすか」だからです。

劣等感についてのアドラーの教え
(画像:『超訳 アドラーの言葉』を参照し東洋経済作成)

「劣等感があるからこそ、成長できる。糧にして努力できる」と考えたのです。まさにアドラー自身が、自分の体の弱さからくる劣等感がありながらも、それを糧にして医師になっています。

フロイトとの関係性

アドラーは眼科、のちに内科、そして精神科と分野を移行させていきます。

そして、フロイトと出会います。ただ、ここでよく誤解されていることがあります。アドラーがフロイトの「弟子」だという説です。

アドラーがフロイトの弟子であったことはなく、1902年にフロイトの招きに応じる形で9年間、共同研究に携わっていたと表現するほうが適切です。こんなエピソードが残っています。

ニューヨークのホテルで、欲求段階説でも有名なアブラハム・マズローとアドラーが夕食をとっていたときのことです。マズローがアドラーに「フロイトのもとで修業をしていたこと」について、それとなく質問してみました。

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