「ニセ科学本」を憂う74歳・伝説の理科教育者の戦い 人はなぜニセ科学にこうも騙されるのか?

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大学卒業後、教師になった左巻さん。左巻流の独特な授業を展開し、大人気となった(筆者撮影)
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これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第113回。
(本記事は前後編の後編です。左巻健男さんの生い立ちから、学校の理科教師になるまでを描いた前編の記事はこちら

大学を卒業すると、26歳で埼玉県の公立の中学校の教師になった。学校では、左巻流のかなり独特な授業を展開した。

「教科書は一切使いませんでした。化学の実験をしたり、教科書には載ってない独自の内容の授業をしたりしました」

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左巻先生の授業は大人気だった。

先生を長く続けていると、兄、姉、近所の人などから、

「左巻先生の授業は面白いよ!!」

と聞かされて、楽しみにしながら入学してくる生徒も増え始めた。

「それで成績が下がっていたら怒られていたんでしょうけど、理科が好きな生徒が増えて、かつ平均の成績も上がっていました。だから親たちの支持も良く、文句を言われることもなかったですね」

ただし、校長などから『扱いづらそうな先生』とは思われていたらしい。4~5年同じ学校で勤めたら他の学校に移るのが一般的だったが、移ることはなかった。校長には、

「君を取ってくれる、校長がいないんだよ」

と言われた。

8年目になって、理科の研究会の先輩に

「国立東京大学教育学部附属中・高等学校に応募しなさい。公立より自由に授業ができるよ」

と勧められた。応募すると採用された。この学校では、高校で化学を教え、中学でも理科全般を教えることができ、確かに自由に授業を進められた。

それから実に18年間、2000年までこの中・高等学校で教鞭をとった。

「本当に好き勝手に理科の授業をやってきたんですけど、長年いると教務部長(教務主任)とかをやらされる年代になってきました。『理科の授業だけをやっていたいな』と思って大学に応募しました」

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