大学を卒業すると、26歳で埼玉県の公立の中学校の教師になった。学校では、左巻流のかなり独特な授業を展開した。
「教科書は一切使いませんでした。化学の実験をしたり、教科書には載ってない独自の内容の授業をしたりしました」
左巻先生の授業は大人気だった。
先生を長く続けていると、兄、姉、近所の人などから、
「左巻先生の授業は面白いよ!!」
と聞かされて、楽しみにしながら入学してくる生徒も増え始めた。
「それで成績が下がっていたら怒られていたんでしょうけど、理科が好きな生徒が増えて、かつ平均の成績も上がっていました。だから親たちの支持も良く、文句を言われることもなかったですね」
ただし、校長などから『扱いづらそうな先生』とは思われていたらしい。4~5年同じ学校で勤めたら他の学校に移るのが一般的だったが、移ることはなかった。校長には、
「君を取ってくれる、校長がいないんだよ」
と言われた。
8年目になって、理科の研究会の先輩に
「国立東京大学教育学部附属中・高等学校に応募しなさい。公立より自由に授業ができるよ」
と勧められた。応募すると採用された。この学校では、高校で化学を教え、中学でも理科全般を教えることができ、確かに自由に授業を進められた。
それから実に18年間、2000年までこの中・高等学校で教鞭をとった。
「本当に好き勝手に理科の授業をやってきたんですけど、長年いると教務部長(教務主任)とかをやらされる年代になってきました。『理科の授業だけをやっていたいな』と思って大学に応募しました」
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