ブラック組織からの逃げ方まで指南している易経 「君子豹変」「虎視眈々」日常に潜む古典の言葉

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こうした時は、主体を自分自身に置いて考えてみる。すると、そこには何をやっても上手くいった時もあれば、どうにも八方塞がりだった時もあり、山あり谷ありの中に、その時々の自分が、今となっては相対的なものに過ぎない世間の常識(社会通念)や、限定的に有効だったやり方(成功体験)を信じ、その時々で異なる感じ方や考え方をしていたことを、しみじみと感ずるはずである。

そして、表面的には上手くいっていたことも、後の災難の伏線であったり、思い出したくもない出来事が、後の安定の種になっていたりすることも珍しくない。

それが分からない人は、いつまでも社会通念や成功体験に執着して同じ過ちを繰り返し、そのことにすら気づかない。

そうした人は、人生が終わったように感ずるが、それはこれまでの社会通念や成功体験の終わりであって、家で言えば家族のあり方やつきあい方を変える時、会社で言えば事業転換か整理再生の時、国家で言えば政治改革か政権交代の時であるに過ぎず、その機会を見逃すことで、本当の破滅に至る。

残念ながら、そこでその人や組織は終わりだが、そこにはまた新しい存在が登場し、世界は再び動いていく。

これが骨身にしみれば、絶望を感じる原因となる社会通念や成功体験に執着せず、考え方や感じ方を時流に合わせて変化させることで、自分自身を生成発展させ、そこから家庭や企業、国家を変化させていくことができる。

そのために先人が愛読した書物こそ『易経』である。

自分と社会を変化させて成功した実業家「高島呑象」

『易経』を読めば、自分を変えて変化の波に乗ることが可能なのか。それができた人物として、高島呑象(嘉右衛門、1832~1914)を挙げてみたい。

高島は江戸時代末期から大正時代までを生きた実業家であり、材木商から始まって、横浜で貿易商や建築請負業を営んだ。いち早く東京―横浜間の鉄道開通を明治政府に説き、横浜の埋め立て事業を引き受け、また横浜瓦斯局を設立。日本初の都市ガス事業を成功させ、横浜の街をガス灯で照らした。

そして、高島学校を創設して近代教育事業を開始し、総理大臣になった人材などを輩出している。いわば横浜の父ともいうべき人物である。

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