私のクリニックに来る患者さんのなかには、東京大学を卒業し職場でも評価が高いだろうと想像される方が、どんな分野や内容でも親の言うことが絶対正しいという価値観に縛られているというようなことがあります。子は無条件で親を愛し尊敬しているから、親から愛情を与えられないのは自分が悪いのだと思ってしまう。知識も経験も身につけた自分のほうが正しい、親は勉強不足だなどとは思えないわけですね。
自分の気持ちをないがしろにして、親の言うことに従っている間に追い詰められていく。こういった状況におちいらないようにするには、「母親は発達障害的な特性を持っていたな。父親がいつもフォローに回っていたな」といったように、親自身を客観的な視点でとらえなおす必要があります。親であっても精神的に未熟な人もいる、親であっても成熟した人格者ではない普通の人なのだと考えられるようになることが大切です。
毒親話では問題は解決しない
未熟な親の別の呼び方として「毒親」という言葉が一般化しつつあります。この毒親という言葉が持つ攻撃性には注意が必要です。自分の親を世間の親とは違うもの、悪いものとして毒親話をしたところで、一時的な慰めにはなっても生きづらさの軽減にはつながらないからです。
親を憎めないから苦しいのに、愛してくれなかった、評価してくれなかった、無関心だった、ほかのきょうだいのほうがかわいがられたなど表面的な理解で毒親として切り捨てても問題は解決しません。親を客観的な視点でとらえるということは、「ひどい親だった」の一言で済ませることでもなく、逆に神格化しすぎることでもありません。一個人として長所や短所を冷静に見つめることが大事なのです。
精神医学的にいえば、「心」というものは存在しません。精神医学では、心の問題は「脳機能の問題」ととらえます。「私は心が弱い。もっと強くならなければダメだ」と自分を責めて苦しんでいる人がいたら、それは心が弱いのではなく不安障害など脳の機能に何らかの変性が起こったと解釈します。なぜ不安障害が起こったのか話を聞き、それにあわせて対処、治療していくのです。こういった知識は、親子の問題を考えるうえでも役立ちます。
親が片付けができない特性を持っていたから家のなかがゴミ屋敷のようになっている。他者に無関心な父親によって母親が寂しさをつのらせ子どもに依存したため、子どもは父親のグチや悪口、悩みごとまで話を聞かなければならない。こういった親の特性を観察し、脳科学的に理解するのです。感情的になるとただただ嫌な思いをするだけ。合理的に判断、行動することが問題解決につながります。
(構成:中原美絵子)
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