家康には信長や秀吉に認めさせる人間力があったように思います。家康は信長の9歳下、秀吉の6歳下です。年齢の若い家康に対して信長は、厳しい要求もしましたが、あくまでも同盟国としての建前を崩さず、自ら安土城で家康を接待する気遣いを見せました。
秀吉も、家康が臣従して関係を持つようになってからはいっそう気を遣い、何かと家康の顔が立つようにします。家康には、信長や秀吉のような派手さや激しさはありませんが、相手の信頼を得る独特の魅力があったのではないでしょうか。
戦国の諸将から支持が厚かった
もし、家康がただの野心家であれば、信長や秀吉はどのような手を使っても家康を排除したでしょう。とくに秀吉に関しては、家康が臣従してからの家康に対する信頼は絶大なものでした。それは同時に家康を支持する諸侯が多かったことでもあると言えます。
そして秀吉の死後、家康の人望は大きく天下を変えていくことになるのです。
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