「絶望の老年」だった秀吉が家康に魅了された真相 天下を取れど頼れる人は周囲にいない悲惨な最期

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家康には信長や秀吉に認めさせる人間力があったように思います。家康は信長の9歳下、秀吉の6歳下です。年齢の若い家康に対して信長は、厳しい要求もしましたが、あくまでも同盟国としての建前を崩さず、自ら安土城で家康を接待する気遣いを見せました。

秀吉も、家康が臣従して関係を持つようになってからはいっそう気を遣い、何かと家康の顔が立つようにします。家康には、信長や秀吉のような派手さや激しさはありませんが、相手の信頼を得る独特の魅力があったのではないでしょうか。

戦国の諸将から支持が厚かった

もし、家康がただの野心家であれば、信長や秀吉はどのような手を使っても家康を排除したでしょう。とくに秀吉に関しては、家康が臣従してからの家康に対する信頼は絶大なものでした。それは同時に家康を支持する諸侯が多かったことでもあると言えます。

そして秀吉の死後、家康の人望は大きく天下を変えていくことになるのです。

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眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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