「大阪市大200点差不合格→阪大へ」彼が得た学び 「はなおでんがん」のでんがんさんに話を聞く

✎ 1〜 ✎ 31 ✎ 32 ✎ 33 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

浪人生活で彼は何を身につけたのか? 浪人を経験したことが、現在の活動にどう生きているのか? 今回は、数多くの10〜20代に影響を与えてきた、彼の人生と今後の展望を深掘りしていきます。

でんがんさんは、1993年2月、大阪府の門真市に生まれました。小さいころの彼は「問題児」だったそうです。

「『やれ』って言われてもやらず、やるなって言われたことをやりたくなる変わった子どもでした。授業を一方的に聞くのが嫌いで、つねに先生に『どういうこと?』って聞くような感じでしたね」

小学校時代は勉強が嫌いで、ほとんどの科目で平均点以下の成績だったそうです。

中学に入ると理数系に力を入れている知人が通っていた集団指導塾に通いはじめ、成績が普通より少し上になったそうですが、「緑という漢字を書けるようになったのが中学生のときでした」と話すように、成績や勉強に対する意識が大きく変化することはなかったそうです。

そんな中学時代が終わり、高校は県立芦屋高等学校に進学します。

部活に集中し、勉強できていなかった

「陸上部の活動に集中していたので、数学や理科、英語などの科目に力を入れて取り組めませんでした。高校の定期テストは特別難しいわけではありませんでしたが、英語では40~50点くらい、物理のテストでは20点を取ったこともありましたし、成績はよくありませんでしたね。この時期に模試を受けていたら、10点以下しか取れなかったと思います」

今でこそ「理系動画」で世の中に広く認知されているでんがんさんですが、この当時に関しては「算数や数学の計算スピードは速かったですが、謎解き感覚でやっていただけで理解はできていなかった」と、まだ片鱗が見えなかったことを語ります。

高校1~2年生当時の第一志望校は、神戸大学でした。

「家から近いところがよかったので、いったんそう言っていただけです。大学に興味がなかったわけではないですが、行けたらいいなとは思っていました」

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事