キーウの書店本棚から撤去されたロシア語書籍 ソ連批判作家の記念館にも「脱ロシア化」の矛先

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記念館は、ブルガーコフが15歳から28歳まで住んだ建物を改装して、1991年に開館した。脱共産主義が課題だった当時のウクライナにとって、ブルガーコフはもっぱら「ソ連の反体制作家」としての位置づけだった。

そのブルガーコフがウクライナ侵略後、攻撃の対象となっている。

2022年8月、キーウ市内にあるブルガーコフが通っていた高校(現在はキーウ大学の建物)の壁に設置されていた記念板が、脱ロシア化を主張する市民団体の要求を受けて撤去された。

記念館に対しても、ロシアの本格的な侵略以来、ウクライナ作家組合などから、閉鎖を求める意見が提起されている。2023年5月には、16歳の少年が記念館に掲げられていたブルガーコフのレリーフに赤い塗料をかける事件も起きた。

ウクライナ独立は考えなかった作家

なぜ、こうした動きが相次いでいるのか。それは、ブルガーコフが反ウクライナ的と見なされるようになったからだ。

彼は反ボリシェビキではあったが、考え方の基本はロシア帝国の維持であり、ウクライナの独立は考えられないことだった。『白衛軍』では、独立を求めウクライナ共和国を率いたシモン・ペトリューラ(1879~1926年)を否定的に描いている。

5月12日、記念館のガイドであるマリーナ・シュチェンコさん(37歳)の案内で、館内を見学した。

ブルガーコフの自筆原稿や手紙、写真、メモ、昆虫標本(ブルガーコフが弟と近郊のブチャにあったダーチャ=別荘で採集した)など、オリジナルの収蔵品は多いが、侵略開始後、その多くを倉庫に移した。ただ、現在の展示品だけでも、『白衛軍』に描かれた住居の雰囲気は十分感じることができる。

ブルガーコフ記念館を案内するシュチェンコさん
ブルガーコフ記念館を案内するシュチェンコさん。白い家具はレプリカ(筆者撮影)

ブルガーコフ文学への理解を深めるには、有益な展示だ。

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