しかしながら、教養主義はこのように多くの学生や教員たちに共有されたにもかかわらず、感受性や主観に重きをおいたロマン主義と同じように、具体的な社会変革の設計図を描くには至りませんでした。
日本的な教養主義が手本にしたドイツでは、他の国に見られるような身体作法や礼節は重視されず、教養を身につけることは人間的に成長することであるとされ、内面の成熟に重きを置いていたこともその一因です。
上述の竹内は、1970年代後半以後に教養の輪郭がぼやけて教養主義が衰退した原因は、「新中間大衆社会」という社会構造の変化にあるとしています。
つまり、ホワイトカラーだけでなくブルーカラー、自営層、農民までを含んだ新中間大衆の文化は、隣人と同じ振る舞いを目指し、すべて高貴なものを引きずり下ろそうとする、フリードリッヒ・ニーチェが言う「畜群」(衆愚)道徳に近いものだったのではないかというのです。
日本で「教養主義」が失われた理由
この点について、私なりにその背景を考えてみると、ひとつには、日本社会は太平洋戦争と学生運動における2つの「敗戦」という大きな挫折を経て、全体として哲学や思想的なものに対する信仰が失われていったということがあると思います。
またその反動として、日本が国家を挙げて経済成長に邁進したことで、大学における教養教育自体が形式化・形骸化してしまい、専門課程への単なる通過点にすぎなくなってしまったということも挙げられると思います。
つまり、高度成長期以降は、「教養主義」に代わって「資本主義」が日本人の支配的思想になっていったということです。
この資本主義と教養の問題は、広がりが大きい課題ですので、また次回以降で詳しく検証してみたいと思います。
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