日本では、戦前の旧制高校から1970年代まで続いた大学文化の中に「(大正)教養主義」というものがありました。
そこでの「教養」というのは、ドイツのフリードリヒ・ヘーゲル的な「ビルドゥング」の影響を強く受けたものでした。
ヘーゲルは、『精神現象学』の中で、教養というのは、生まれながらの素朴な生から離れて、より高いレベルでの一般的知識を手にすることだとして、次のように語っています。
ヘーゲルは、こうした精神の自己運動を「ビルドゥング」と呼んでいます。ドイツ語の「ビルドゥング」というのは、個人が自己を理解し、内面的に成長し、豊かな人間性を獲得するためのプロセスを指し、そこには自分で身につけるというイメージがあります。
人間は、「ビルドゥング=自己の形成」を通して自己実現が可能となり、さらなる人間的成長を遂げるということです。
さらにヘーゲルは、個人と社会の発展は密接に関連しているとして、個人が「ビルドゥング」を通じて自己を形成し、社会との関係を築くことで、より高度な精神(絶対精神)へと進化すると考えたのです。
戦後日本で起こった「教養主義論争」
戦後の日本では、教養の意義を巡って教養主義論争が起きました。
最大の論点は、教養を積むことが人格形成に意味があるかどうかで、意味があるとするのが「人格主義的教養主義肯定論」です。
これに対して、教養を積むことと人格形成とは別物だと考えるのが「人格主義的教養主義否定論」です。
社会学者の竹内洋は、『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』(中公新書)の中で、教養というのは、読書を通して知識を得て、人格を陶冶し、社会を変革することだとしています。
そこにあるのは、マルクス主義を学び、『世界』や『中央公論』などの雑誌を通して教養を身につけることが、自分の幸せと社会の進歩につながるという考え方です。
こうした「教養=ビルドゥング」という理解が大学文化の中に浸透し、日本の教養主義と人格主義の時代を生きた人たちは、カントやヘーゲルなどの啓蒙主義哲学を知識として学ぶだけでなく、その生き方のモデルとしたのです。
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