日本で「教養主義」が失われた2つの納得する訳 大正・昭和時代の「教養」は何を目指していたか

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それではまず、「教養とは何か?」という問題を整理したうえで、次に私が考える「教養」とは何かを論じるところから、この連載を始めたいと思います。

日本語の「教養」は、中国語の同じ「教養」という言葉から来ています。「教」は「教える」で、「養」は「育てる」ですから、直訳すると「教育」ということになります。

中国語の「教養」という言葉は基本的には日本語と同じ意味ですが、「教育」により重きが置かれています。

つまり、高級官僚を登用するための試験制度であった科挙の権威を背景に、四書五経(「論語」「大学」「中庸」「孟子」「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)を学ぶことや漢詩に通じることなど、幅広い学問分野の知識を獲得することを意味していました。

これに対して、日本語の「教養」は、社会的な素養や品位、人間性の形成など、倫理的な価値観などにより重点が置かれた使われ方をしています。

たとえば、日本語で「あの人は教養がある」といえば、学問に裏づけられた人柄の奥行きや、洗練された立ち居振る舞いや会話を意味していて、そこには単なる知識以上の人間的な評価が含まれています。

「教養」は「文化」「芸術」の語源

西洋の歴史に目を転じると、「教養」に相当するギリシア語は「パイデイア」(paideia)で、「子供(pais)が訓練によって身につけたもの」という意味です。

これは教育そのものを意味するだけでなく、教育の結果である「教養」「文化」「文明」「伝統」などを含む幅広い概念です。

ちなみに、「教養」を英語で表現するのは難しいですが、「カルチャー」(culture)や「カルティベーション」(cultivation)という言葉になり、これは「心を耕すこと」を意味します。

また、ドイツ語では「ビルドゥング 」(Bildung)と表現され、これは「形成すること」を意味します。

古代ギリシアの教育は、この「パイデイア」という自由人の教育と、「テクネー」(techne)という職人や奴隷の教育に分かれていました。

「パイデイア」 は、人間として普遍的な知識を身につけることで精神を深め、人生を豊かにすることを目的とした自由人の教育でした。

これに対して、ギリシア語のテクネーには、絵画、彫刻などの諸芸術をはじめ、医学、建築など人間の制作活動全般が広く包含されていました。

このテクネーは、ラテン語の「アルス」(ars)、英語の「アート」(art)に対応します。

英語の「テクニック」(technique)は実践的・具体的なものですが、「アート」は創造的な表現活動を広く含んだ総称です。

これを日本語では「芸術」と訳しますので、言語が変わるたびに少しずつニュアンスが変化していると言えます。

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