享年70歳の彼が高校の同級生3人に託した遺言 小説『おかげで、死ぬのが楽しみになった』第1話(2)

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応援団を再結成してほしい 一生のお願いだ

再結成? おそるおそる隣を見ると、宮瀬に笑顔はなく、常に後先を考えず即答する板垣でさえ、遺書に視線を落としたまま固まっている。少し開いた窓から、木々を揺らす風の音がざわざわと聞こえた。

「今更応援団なんて、無理だろうよ」

私の言葉に、板垣が顔を上げた。険しい顔で、深い息を吐く。老体に応援団が酷なことぐらい、熱しやすい板垣でも理解できたのだろう。

「どうしても、ダメでしょうか」

巣立の孫娘は目を潤ませ、「遺書は一通だけ。皆さんにしか頼れなかったんだと思うんです」と訴える。

すると宮瀬が遺書をつまみ取り、丁寧に折り畳んだ後、なかったことにするかのように、板垣のアロハシャツの胸ポケットに差し入れた。困ったような笑みを浮かべ、「申し訳ないけど──」と応える。

宮瀬は正しい。どれだけお願いされても、無理なものは無理だ。

「来月からでもいい? 今、お店の引き継ぎで忙しくてさ」

「そうだよな、来月だったら大丈夫……はああああ?」

世界ビックリした人間コンテストがあれば、私は間違いなく優勝だろう。

「宮瀬、時期の問題じゃないだろうよ。70歳の応援団なんてありえない」

「引間の臆病風も、相変わらずだねえ」

「臆病風じゃない。事実を言ってるんだ」

「久しぶりなんだよ。何かを頼まれたの」

宮瀬の声のトーンが真剣みを帯びる。

「この歳になるとさ、店のスタッフは誰も、僕に頼み事なんかしてこないんだよね。こっちはまだやれるつもりなのに。ねえ、老人は支えられるだけで、誰かを支えちゃいけないのかな?」

その言葉に、市役所に勤めていた頃、廊下に貼り出してあったポスターが頭に浮かぶ。

──高齢者に優しい社会を目指します。

一見、善意に満ちた標語だ。けれど、「社会から優しくされないと高齢者は生きていけない」というメッセージにも思えた。

「ずるいだろうよ」

「いつからだろうな。自分が社会のお荷物だと思うようになったのは」

普通に生活をしているだけでも、誰かに迷惑をかけているのでは、と思う。

「まだまだ荷物も持てるのにね」

宮瀬が床に置いていた鞄を目線の高さまで持ち上げた。

「必要とされるのって嬉しいじゃない。それが仲間の最期の頼みなら、なおさらだよ」

巣立が誰を応援してほしいのかは、わからない。しかし、一生のお願いと言って託すほどの心残りがあった……。

遺影を見上げる。きっと巣立はニヤニヤしながら死ねなかったのだ。後悔に苦しみ、悩み、絶望し、追い詰められた。なのに、疎遠だった旧友しか頼れる人がいない。彼の孤独を思い、胸が痛む。

「力になってやりたいとは思う」私は正直に答えた。「でもそれはあくまで、自分のできる範囲内での話だ。応援団の再結成なんて、完全に大気圏外だろ」

「じゃあ今度、やるかどうかの話し合いをするのはどうですか。場所は巣立湯を使ってくださいよ。わたしがおじいちゃんの跡を継いで、5月から営業再開するんで」

孫娘の妥協案に板垣は俯き、「家で、もう一度遺書を読んでみるわ」と支離滅裂なフォローを口にする。私も「まあ、話し合うだけなら」と一応の返事をした。暗号が隠されている訳でもあるまいし。読み返したところで、応援団が無理だという事実は変わらない。

「なんだかワクワクしてきたね」

宮瀬がとびきりの笑顔を見せた。

私は苦笑で応え、遺影に向かい、さっきから気になっていたことを意見する。

「一生を終えてる奴が、一生のお願いをするのはずるいだろうよ」

次ページ「風呂じゃなくて遺言の話だろ」
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