「核家族での子育て」が大変である進化論的な理由 ヒトの進化史を踏まえた理想的な子育てとは

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育児を担う公的な施設は協力的繁殖を行なうヒトの性質を論理上拡大したものであり、そもそもこうした施設が存在するのは、ヒトが協力的繁殖を行なうという事実があるからだろう。

子が常に母親のそばにいるほかの大型類人猿とは異なり、ヒトの子どもは母親よりもほかの保護者と多くの時間を過ごすことがよくあり、1人の保護者とだけ絆を形成する必要はなく、複数の個人に面倒を見てもらうこともできる。面倒を見る個人のなかには、ほかの子どももいることがある。

こうした見方は、核家族という欧米人の理想とは対極をなす。

核家族では、両親が拡大家族からの助力をほとんど受けずに子どもを育てる。子どもの数が少なく、子どもどうしの年の差も小さい傾向があるため、年長のきょうだいはまだ親に依存していることが多く、下の子の面倒を見られない。

ヒトの進化史を無視した「愛着理論」

この点に関しては、ヒトの進化史にきちんと目を向けなければ、有害な結果を招きかねない。欧米のモデルは模範的な事例の基準として使われることが多く、育児をどのように行なうべきかについての方針決定や、その方針に従わなかった場合にどのような害を子どもに及ぼすかを伝えるのによく使われる。

この分野でもよく知られている考えの一つが「愛着理論」だ。

この理論では、子どもの健全な発育は、主要な養育者(たいていは母親)と親密な関係を築けるかどうかにかかっているとされる。

この理論に従うと、子どもに無関心あるいは鈍感な母親(または子どもを保育所に預ける母親)は子どもの発育の過程を変える可能性があり、「不安定な愛着スタイル」として知られるものを子どもに植えつけて、広範囲に悪影響を及ぼすおそれがあるという。

これが暗に導き出すのは、子どもを社会に順応しやすく育て、成人してからまっとうな関係を築くことができ、社会の役に立つ一員に成長させるのは母親の責任だという結論だ。したがって、子育てがうまくいかないと、母親が責められることになる。

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