私たち人類が過酷な環境を生き延び、さまざまな問題を解決し、世界中で繁栄することができたのは、「協力」という能力のおかげだ。
だが、人間のみならず、多くの生物が協力し合って生きている。そもそも多細胞生物は、個々の細胞が協力し合うことから誕生したものであり、生命の歴史は協力の歴史ともいえるのだ。
一方で、協力には詐欺や汚職、身内びいきなどの負の側面もある。それでは、私たちはどうすればより良い形で協力し合うことができるのだろうか?
今回、日本語版が6月に刊行された『「協力」の生命全史』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。
「自分の友人を助けますか?」
こんな質問をしてみたい。
身内の犯罪容疑を晴らすために法廷で噓をつくことを、あなたは容認するだろうか? 能力の劣る友人ではなく最良の人材を雇用する道義的義務があるかどうかを問われたら、あなたは何と答えるか?
このような質問への回答は一筋縄ではいかず、万人が支持するものもない。
1つの領域での協力はしばしば、別の領域での協力を台無しにする。道徳的かどうかの判断は、私たちがこうした競合する利益のバランスの取り方をどのように考えるかによって異なる。
たとえば、「いつも友人を助けている」人物は他者に信頼されないことがあるが、同じような非難は「友人さえ助けない」人物にも向けられる可能性があるということだ。
ここからは、あなた自身が1つの輪のなかにいて、地球上のすべての他者もその輪のなかのどこかにいると考えてみよう。
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