東アジアではなぜ「身内びいき」がはびこるのか 「集団主義」と「普遍主義」における社会的な輪

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人々が協力関係をもっと遠くの関係に広げるのではなく、小さい社会的な輪のなかにとどめるべきだと考える度合いは、政治的スペクトルに沿ってある程度変化する。

これがよく表れているのが、近年のアメリカ大統領による就任演説だ。

2009年、バラク・オバマは「アメリカはそれぞれの国、そして男性や女性、子ども一人一人の友人である」と宣言し、「貧しい国の人々」と協力して「飢えた体に栄養を与え、ハングリーな心を満たす」と約束した。

一方、ドナルド・トランプは2017年の就任演説で地球全体ではなく、国の利益だけを囲むはるかに小さな輪を描き、「海外に何兆ドルも」つぎ込んでいると嘆いて、「いまこの瞬間からアメリカ・ファースト(第一主義)になる」と約束した。

保守派とリベラル派の「道徳的配慮の輪」

大規模な行動実験でこうした傾向が確認されている。実験では、政治的に保守派であると自任する人は家族への愛情が強いが、人類全体への愛情は弱いことがわかった(政治的にリベラル派だと言う人は反対の傾向を示す)。

同じ研究では、保守派は戦争や紛争のない世界を実現することより、祖国を敵から守るほうが重要だと考えた。また、保守派は人類全体より、自分に最も近いコミュニティのほうに強い共感を示す傾向にもあった。

架空のリソースをさまざまなカテゴリー(家族と友人、全人類とヒト以外の動物)に配分するよう言われたとき、保守派はリベラル派よりリソースを配分する範囲が狭い傾向にあり、ヒト以外の動物に何らかのリソースを配分することが少なかった。

私が最近リー・デ・ウィット(ケンブリッジ大学の研究者)と共同で行なった研究で、新型コロナウイルス感染症の影響に対する人々の懸念も政治的スペクトルに沿って変化することがわかった。

自分自身と親友や家族に対する懸念はあらゆる政治的立場の人が抱いていたものの、社会のほかの人々に対する影響をより熱心に広く懸念していたのはリベラル派だった。

まとめると、これらの実験で、政治的な保守派のほうが道徳的配慮の輪が小さいことが明らかになった。つまり、共感や思いやり、懸念は遠くの関係よりも近くの関係に多く向けられるということだ。

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