東アジアではなぜ「身内びいき」がはびこるのか 「集団主義」と「普遍主義」における社会的な輪

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こうした道徳的配慮の輪は、近くの関係を優先して協力すべきか、あるいはもっと平等にすべての人に協力すべきかと判断する範囲に影響し、はるかに規模が大きい国レベルで見てもそれぞれ異なる。

このように文化によって異なる傾向は、普遍主義と集団主義のスペクトルに沿った相違にもとづいて表現されることがある。

集団主義の社会(中国、日本、韓国といった東アジアの国々など)は家族集団を中心に築かれる傾向にある。

このような社会では、社会的な輪は比較的小さいが、そのなかのメンバーどうしのつながりはきわめて強く、一人一人が互いに依存しながら暮らしている。この小さな輪のなかでは互いを支援する強い道徳的義務があるが、その輪の外にまで支援を広げる必要はない。

このスペクトルの反対側には、普遍主義の社会(西ヨーロッパの多くの国やアメリカなど)があり、人々は遠い関係を多く含んだより大きな社会的ネットワークを築く傾向にあるものの、近い家族に対する道徳的義務の縛りはそれに応じて弱くなる。

人々はそれでも友人や家族を優先的に支援し、信頼するのだが、この大事な集団の成功を手助けする道徳的義務は集団主義の社会と同じではない。

普遍主義の社会における道徳的規範は公平な向社会性に重きを置いている。つまり、すべての人に同じルールを適用すべきとの考え方だ。

汚職や賄賂、身内びいきが起きやすいのは?

このような社会的な輪の大きさは、社会が機能する仕組みについて大規模な相違のいくつかを生んでいる可能性がある。

たとえば、集団主義の社会は汚職や賄賂、身内びいきが起きやすい傾向にある。これらはすべて、道徳的配慮の輪のなかの必要性を輪の外の必要性よりも優先していると解釈できる。

実力主義で人材を雇うのではなく、友人や家族を重役に任命する行為は、家族の結びつきが強い文化のほうがよく見られる。また、集団主義では、友人を助けるためであれば、法廷で虚偽の証言をするなどの違法行為が支持される傾向が強いとも予測される。

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