「空気を読まない」哲学が学校や企業を救う理由 日本の「道徳教育」はなぜイケてないのか

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道徳の必要性を古川雄嗣氏と斎藤哲也氏が考える(写真:Fast&Slow/PIXTA)
小学校では2018年度から、2019年度には中学校でも「道徳」が教科化となった。また、今年の大学入試センター試験の「倫理」では、「ある日突然、恋に落ちた」という一文から始まるリード文が出題され、SNSがざわついた。日本の道徳教育はどこへ向かうべきか?  社会にどのような影響をもたらすのか? 何かと話題の「哲学」をめぐる教育の現状について、『大人の道徳』著者の古川雄嗣氏と、『試験に出る哲学』著者の斎藤哲也氏が、下北沢の「本屋B & B」にて対談した。その熱い議論をお届けする。

「道徳の教科化」から考える「哲学」の位置づけ

古川:「道徳の教科化」については、賛否両論がいろいろあるんですが、それを見ていると、だいたい保守系の人たちは道徳教育が大事だと力説し、リベラル系の人たちは子どもに道徳を押し付けるなんてけしからんと反対していて、全然話が噛み合っていないんですよね。でも、どちらもいちばん大事なことをほとんど語っていないんじゃないか。そう思って、『大人の道徳―西洋近代思想を問い直す』という本を書きました。

『大人の道徳:西洋近代思想を問い直す』(東洋経済新報社)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

いちばん大事なことというのは、「そもそも、なぜわざわざ学校で道徳を教わらなければならないのか」ということです。

斎藤:なるほど。道徳教育とひとくちに言っても、家庭でのしつけもあれば、地域社会で教わることもありますね。でも、そうではなくて、「学校」という特定の場で教わるべき道徳というものがあるのだとすれば、それはいったい何なのか、ということですね。

古川:そのとおりです。そうすると、まず「そもそも学校とは何なのか」という問いから出発しなければなりません。なぜ私たちはわざわざ学校などというところに通わなければならないのか、ということですね。そして、それを考えてみると、どうやら学校という制度は、近代という時代に特有の、非常に特殊な制度であるということがわかってくる。すると今度は、その「近代」とは何かということを考えなくてはいけない。なぜ近代という時代は、学校という教育制度を要求するのか、ということです。

こういうふうに、近代とは何か、そこでは人間や社会や国家のあり方はどういうふうに考えられているのか、ということを、きちんと問い直さないまま、ただ思いつきや経験論だけで道徳や道徳教育を語っても意味がないと思うんです。そして、それを問い直すということは、要するに「西洋近代思想を問い直す」ということになるわけです。

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