「空気を読まない」哲学が学校や企業を救う理由 日本の「道徳教育」はなぜイケてないのか
斎籐:古川さんは、哲学や思想を勉強しようと思うようになったきっかけのようなものはありましたか?
「知的雑談文化」創出の重要性
古川:僕も斎藤さんと同じで、高校では「倫理」をとっていませんでした。というか、とれなかったんです。だから、当時はそもそもそんな科目があるということさえ知らなかった(笑)。
僕が哲学や思想を勉強しようと思うようになったのは大学生になってからです。今でもけっこう鮮明に覚えているんですが、実はかなり明確なきっかけがあって、それはたまたま書店で佐伯啓思先生の『「市民」とは誰か』という本を手に取ったことでした。
僕は大学生活のなかで、「何かが違うな」という、うまく言葉にできないような違和感をつねに抱いていたんですね。部活動なんかで同世代の人間と付き合っていても、何かが違う。新聞やニュースを見ていても、何かがおかしい、何かが変だ、という感覚だけが残る。ただ、それはあくまで「感覚」でしかなくて、それが何なのかは自分でもよくわからなかった。
そんなときに、たまたま書店で手に取った佐伯先生の本を読んで、「ああ、こういうことだったのか」という、何か視界の霧が晴れるような思いがしたんですね。自分でもよくわからなかった、何かが違うとか、どこかが変だとか、そういう「感覚」に、論理的な「言葉」が与えられた。これはかなり印象的な体験で、「思想」というものはこういうものなのか、と思いました。それ以来、思想や哲学の本や雑誌を読むようになりましたね。
斎籐:佐伯さんの本は、僕も大学時代にずいぶん読みました。『擬装された文明』とか好きでしたね。思想を使って現代社会を論じる手さばきが格好よかった。生きたブックガイドとしても使える本でした。
古川:斎藤さんは何がきっかけで哲学に興味を持ったんですか。
斎籐:僕が哲学に触れたのは、浪人をして予備校に通っていたときです。1990年だと思うけど、当時は、予備校文化華やかなりし頃で、名物講師といわれている人がたくさんいた。300人教室だけど立ち見が出るとか、そんな時代でした。
当時の予備校は、今よりもう少し余裕があって、雑談文化がありました。たまたま帰りの電車で一緒になった古文の先生が、ハイデガーや西田幾多郎の話をしてくれたこともありました。まったくわからないんだけど、なんだか面白そうだと興味をそそられたものです。