武田信玄にあこがれていた徳川家康
武田信玄の怒濤の侵攻によって、遠江や三河の地域の多くを失うことになった徳川家康。信玄が病死したと知って、どれだけ安堵したことだろうか。その死に際して、家康が信玄のことを振り返って、こう評したと『徳川実記』には書かれている。
「今の世で、信玄のように弓矢を取り回すものは2人といない。私も信玄のように弓矢を取りたいものだと思ってきた」
信玄への知られざるあこがれを口にして「信玄の死は喜ぶものではない」と家臣たちに呼びかけている。それを聞いた者たちは思いやりあふれた発言に感心して、身分の低い御家人たちまでもが「信玄の死は残念なことだ」と家康の口まねをしたという。
家康が信玄にこれほど追い詰められたことを思えば、みなの口まねは「本心では喜んでいるのでは?」というからかいも含まれているのではないかと邪推してしまうが、状況を考えれば、家康が信玄の死に少なからずほっとしたことは確かだろう。信玄の死をきっかけに戦国大名たちのパワーバランスが変化していく。


















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