
家康の子をふたり身ごもった女性
お万の方(のちの長勝院)は、三河の永見貞英の娘として生まれました。彼女が徳川家康の正室・瀬名(築山殿)の奥女中として奉公していた際に、家康の子を身ごもります。しかし築山殿は、奥女中の彼女を側室として認めませんでした。家康とお万の関係が築山殿に知られたのが、身ごもってからか、その前なのかは判然としていません。
いずれにせよ築山殿が側室として認めなかったため、お万は城から追放されることに。この件に家康は積極的に関与しなかったことから、彼女に対する愛情は薄かったことがうかがえます。
さらにお万には不幸が重なりました。それは妊娠したのが双子だったことです。当時、双子は「犬畜生と同じ双子腹」と呼ばれ忌み嫌われていました。これで、さらに家康はお万とその子を受け入れることに消極的になります。とはいえ家康の子である事実は変わりありません。この問題に当たったのが、重臣の本多作左衛門でした。
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