家康に認知されない過去を持つ母子の数奇な運命 武田の猛攻に震えつつ妻の侍女に手をつけた家康

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梅毒だったと言われていますが、気がついたときにはもはや手遅れだったとか。公務を離れ越前に戻った秀康を手厚く看病したのは、母・お万の方でした。

秀康が亡くなると出家の道へ

ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら
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秀康の双子の兄弟である永見貞愛も3年前に亡くなっており、お万の方は懸命に看病しますが1607年6月2日、結城秀康は波乱の人生の幕を閉じました。お万の方は、秀康が亡くなると家康の許可を得ずに出家します。

本来、仕えるべき主の生存中に出家するには許可が必要ですが、お万の方にとって家康は、もはや仕えるという感覚ではなかったのでしょう。家康もまた、お万の方の想いを受け入れました。それが、せめてもの家康からの償いだったのではないでしょうか。

こうして長勝院と名乗ったお万の方は、72歳で没するまで秀康の所領である越前北ノ庄で過ごしたのです。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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