信玄を憎む諏訪家に生まれた勝頼
武田家最後の当主となる武田勝頼は、そもそも当主になる予定はありませんでした。信玄には、正室とのあいだに生まれた義信という正当な嫡男がいたからです。勝頼の母は「諏訪家」の姫でした。
信玄の父・信虎の時代には武田家と同盟関係にあった諏訪家ですが、信虎が信玄に追放されてからは関係が悪化。信玄は諏訪に侵攻し、その領地を奪い取ってしまいます。諏訪家にとって信玄は憎むべき敵でした。その諏訪家の姫を、信玄は側室にしたのです。
これには家中から反対の声が上がったようですが、信玄はこれを無視。さらに諏訪家の遺児に相続を認めず廃嫡するという、なかなかにむごい仕打ちを行いました。これを当の諏訪の姫は、どう思ったことでしょうか。
そうして生まれたのが勝頼でした。
勝頼が15歳になったころ、信玄は諏訪家を継がせます。勝頼の母はすでに亡くなっていましたが、ようやく諏訪家の復興がなされることとなりました。
この時点では、信玄にとっての勝頼は「自分が征服した諏訪家を武田の血筋にして一門化する道具」に過ぎませんでした。武田家の直系の証である「信」の字を勝頼の名乗りに与えられなかったのが、その証拠です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら