「武田勝頼」親を追放し子を幽閉せし信玄の後継者 武田軍を率い名声を上げ家康の声望を落とす謀略

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信玄から高遠城を与えられた勝頼は、18歳のときに初陣を果たします。この初陣で見事に功を立てました。以降、勝頼は信玄のほとんどの軍事行動に帯同し、そのたびに武功を立てます。このころには信玄に、その有能さを認められていたのでしょう。

しかし、それはあくまでも家臣としてのこと。

武田家には有能な一門が多く、信玄自身にも弟の武田信繁、信廉といった武勇に優れた一門の補佐がありました。信玄は、長男・義信の良き補佐役として勝頼を見ていたのかもしれません。ところが勝頼に大きな転機が訪れました。それは長男・義信と父・信玄の激しい抗争に始まります。

信玄をしのぐほどの武勇を誇った嫡男・義信

信玄の長男・義信は、勝頼に劣らず武勇に優れた人物でした。

母は京の名門公家である三条氏の娘であり、信玄の正室です。後見人には武田家きっての猛将・飯富虎昌がついています。17歳の初陣では城をひとつ落とし、敵兵300名を討ち取るなど抜群の武功を立てました。

また、信玄・謙信の一騎打ちがあったとされる第4次川中島の戦いでは、武田勢を蹴散らした謙信が休んでいるところを襲撃し、一時は謙信が自ら槍を振るって防戦せねばならないところまで義信が追い詰めたとされています。武勇においては父・信玄を凌ぐほどの逸材だったと言っていいでしょう。

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