信長が「長篠の戦い後」に家康に下した残虐な命令 両者の関係はどう変化したのか、背景を紐解く

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岐阜駅前の織田信長像(写真: Photonchu /PIXTA)

今年の大河ドラマ『どうする家康』は、徳川家康が主人公。主役を松本潤さんが務めている。今回は家康・織田信長の連合軍と、武田勝頼率いる武田軍が激突した長篠の戦い後の家康と信長の関係に迫る。

天正3年(1575)5月21日の長篠の戦いで、甲斐の武田勝頼軍を破った織田信長は、同月25日には岐阜に帰還した。戦いに勝利した勢いで、徳川家康は、6月2日、駿河国に侵入し、至るところに放火して、威勢を示したという(『信長公記』)。

家康がまず集中して攻めたのは、遠江国の諸城(二俣城・光明城・犬居城)であった。光明城(浜松市天竜区)と犬居城(同前)はそれぞれ6月と7月に落城した。7月には、諏訪原城(島田市)を攻め、8月下旬にはこれを落とす(諏訪原城は牧野城と改名される)。

三河物語に残る逸話

続いて、徳川軍は小山城(静岡県吉田町)を包囲するが、9月上旬、同城を支援する後詰として、武田勝頼が大井川辺りに現れた。1万3000もの大軍であったという。武田軍は小山城を修理し、高天神城(掛川市)に兵糧を運び入れて双方の防御態勢を強化したため、家康も小山城と高天神城は落とすことを諦めて退いた。

この戦には、家康のみならず、その嫡男・信康も同行していたようで、『三河物語』に1つの逸話が載っている。

武田軍が大井川を越えてきたため、退却する際、信康は父・家康に向かい「これまでは、我が軍は敵に向かっていましたので、私が先に進みましたが、これからは、敵を背にして引き揚げることになります。先ず、上様(家康)がお引き揚げください。どこに、親を後ろに置いて、引き揚げる子がおりましょうか」と言上した。

しかし、家康は「倅(せがれ)は訳のわからぬことを言う。お前が早々に引き揚げよ」と言って聞かない。親子は何度も何度も押し問答を繰り返したというが、信康はとうとう先に退却しなかった。家康は折れて、先に引き揚げたというのだ。信康はその後で、整然と隊列を組んで引き揚げたという。

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