信長が「長篠の戦い後」に家康に下した残虐な命令 両者の関係はどう変化したのか、背景を紐解く

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家康と信元は、かつて、今川方と織田方にわかれていたことがあるとは言え、桶狭間の合戦(1560年)直後には「今川義元は戦死したこと。信長軍が押し寄せてくるから、早く退却すべきこと」を家康に伝達したこともあった。

命の恩人を殺せとの命令

ある意味、命の恩人ともいうべき者、それも親族を殺せと命じられた家康はどのような想いだったろうか。後年、信長から家康にはさらに過酷な命令が下ったとされる。それは、我が子を殺せという命令だったというが、はたして真相はどうだったのか。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro
 

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