長塚香里さんは2012年4月、東京からマレーシア・ペナン島に移住した。2011年3月の東日本大震災をきっかけとした決断だった。
子どもたちは、当時10歳と3歳。長女の学校を数校下見した結果、学校の環境がよさそうなペナン島に決定した。
当初、長塚さんの長女、南花(なすか)さんは、マレーシア式のローカル私立学校に入学する。英国式や米国式のプログラムを採用するインターナショナルスクールとは異なり、マレーシア政府の指導に従ったプログラムだが、英語で行われる授業が多い。この学校は入学後半年すると、マレーシア政府の認可を受けてインターナショナルスクールになった。
生徒の60パーセントがマレーシア人。校庭が広く、のびのびした環境が気に入った。当時の子どもの英語力はゼロだったため、3学年落として入った。
中華学校に入るのは、自然な流れだった
「じきに学校にはなじみました。そして2年経つと、学力も、ほぼ実年齢の学年に追いつき、英語力もだいぶしっかりしてきました」
そして、中学校に上がるタイミングで、当初より考えていた中華学校への転校を考えはじめる。マレーシアにやって来た当初から、ペナンに来るなら英語だけでなく中国語も学んだほうがいいと思っていたためだ。
もちろん、インターナショナルスクールでも第2外国語としての中国語は学ぶ。しかし、それでは足りない。「もともとペナン島は中華系住民が多く、中国語で学ぶ中華学校が多い。移住するなら、生活はできるだけローカルに合わせたほうが合理的です。だから中国語で学ぶ学校に娘を入れるのは、自然な流れでした。非ネイティブの多いマレーシアで、英語だけで学ぶことの限界も感じていました」。
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