家康の切腹を止めた「厭離穢土欣求浄土」の裏側 戦国の世の旗印は優れた人心掌握ツールだった

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ちなみに、この旗印は家康以前から松平家で使用されていたという説もあり、家康が意図して採用したかどうかは明らかになっていません。しかし家康が生涯を通じてこの旗印を使ったことは事実なので、何か想いが込められていたことは確かでしょう。ただ、その想いは、初期と晩年では違ったのではないでしょうか。

優秀な人材を集めた「天下布武」

「どうする家康」では岡田准一さんが演じる、織田信長が好んで用いたのは「天下布武」です。これは信長が美濃を併合した頃から使い始めた朱印に刻まれた文言で、旗印ではありませんが、近隣の大名たちに大きなインパクトを与えることに成功しました。

「天下を武力でもって制する」

つまり信長の行動指針が明確に示されたスローガンだったからです。

スローガンとは社会に対して組織の主張や目的、思想を簡潔に示したもので、天下布武はまさにスローガンでした。これは戦場という、現在進行形の局地的状況下での行動指針や思想ではなく、大局的な、社会に対する未来への宣言です。信長はこれを公文書に押印することにより、織田家の考えを広く流布させたわけです。

このような斬新な宣伝活動を行った織田信長は、やはり常人ではありません。これは心構えではなく明確な行動指針ゆえ、求心力を持ちました。だから信長のもとには野心的な人材が次々と集まり、新しい武器をはじめとした資材、情報も集まったのです。

現代で言えば、例えば「世界を豊かに」というような曖昧な表現ではなく、「1兆円企業をつくる」「世界でトップシェアをとる」といった明確な表現を使った指針は、組織内での意識を高め、周りもそういった目でその組織を見ます。いわば逃げ場のない状態を生み出すのです。こういう行動をとる人物は、それまでいませんでした。

織田軍団の躍進は、信長の明確な目標と、その指針を示したスローガンである「天下布武」があってこそのものです。

一方、この頃の家康はどちらかというと自分の領地の安定と、衰退し始めた今川領への侵攻に意識が向いていました。大きな野望というより目の前の状況にいかに対応するかに集中しており、天下にインパクトを与えるようなスローガンは持っていませんでした。

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