清洲同盟ってなに?
織田信長と徳川家康(松平元康)が桶狭間の合戦の2年後に結んだ軍事同盟を「清洲同盟」、または「織徳同盟」とも言います。基本的には「互いの領土を互いで守る」という内容で、大河ドラマ『どうする家康』では、家康が清洲城の信長を訪ねて正式に締結されます。
「清洲同盟」という呼び名は、この同盟が清洲城で結ばれたことに由来します。しかしながら第一級の資料には、清洲城で信長と家康が顔を合わせて同盟を締結したという記録はなく、同盟の詳細を記した書面も見つかっていません。
そういうわけで正確にどんな取り決めがあったかは判明していないのですが、両者が同盟を結んだことは間違いないとされています。これは信長が本能寺の変で死ぬまで続く、戦国時代で最も長く続いた同盟でした。
当時の同盟は、じつは基本的に「口約束」程度のゆるさで、締結しては破棄されるということの連続でした。そのため多くは互いに婚姻関係を結んだりして、同盟の有効性を高めようとしました。例えば桶狭間の合戦の遠因ともなった今川、武田、北条の三国同盟は、今川義元の娘が武田信玄の長男に嫁ぎ、武田信玄の娘が北条氏康の長男に嫁ぎ、北条氏康の娘が今川義元の長男氏真に嫁ぐという複雑な婚姻関係を結んでいます。
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