「兎と狼」家康が信長に見せた驚異的な粘りの深み 従順でなく環境を観察し利用する賢さを持つ知将

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NHK大河ドラマ「どうする家康」第2回「兎と狼」
一時は絶体絶命の危機に陥った松平元康(徳川家康)。どうやって厳しい局面を乗り切ったのでしょうか(画像:NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト)
NHK大河ドラマ「どうする家康」第1回「どうする桶狭間」(1月8日放送)では、今川義元のもとで暮らす松平元康(徳川家康)が桶狭間の合戦を経験し、その後の心模様が描かれていました。第2回「兎と狼」(1月15日放送)は愛する妻子を残した今川方と、義元を討った織田の間で揺れ動く元康の葛藤が物語の中心となるようですが、史実ではどうだったのでしょうか。『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の著者、眞邊明人氏が解説します。

義元は家康の才能を見抜いていた

歴史は、現代に残された資料が示す事実の積み重ねでしかありません。ですがドラマなどで描かれる歴史は、その事実を「解釈」することで紡がれる、作者のメッセージが込められた物語です。この「解釈」の程度ややり方によって、歴史は物語にもなれば、私たちの仕事や人間関係を好転させるうえで役立つ教訓にもなりえます。

今川方で桶狭間の合戦に敗れた元康は、1年にわたり今川と織田の間で中立的な立場を貫きました。このように単なる歴史として言葉にすると、いかにも簡単そうですが、この状況でこの判断は、なかなかできることではありません。

そもそも元康は人質という立場でありながらも、実際は有能な今川家の武将でした。単なる人質なら、初陣で戦功をあげ義元から恩賞を与えられることなどありえません。さらに今川の重臣である関口氏の娘を正室に与えられるなど、人質の分をはるかに超える厚遇を受けていたことは「どうする家康」第1回放送でも描写されていました。

おそらく義元は元康を今川家の重臣に据え、今川領の西側である三河の押さえになることを期待していたのではないでしょうか。

義元の期待は、桶狭間の合戦を引き起こした尾張侵攻にも表れています。義元は元康を先鋒に据え、尾張侵攻の拠点である大高城への兵糧の運び入れを命じました。元康はこの難度の高い任務を成功させると、ほぼ無傷で帰還し、翌日には丸根砦と鷲津砦を落とします。もちろん元康の部下である三河勢の士気の高さや優秀さのおかげでもありますが、元康自身の能力が低くか弱き「白うさぎ」であったなら、敵の拠点を陥落させることなどできなかったでしょう。

もしも、義元が桶狭間に討たれるという予想外の出来事がなければ、元康は尾張侵攻の第一の功労者となったと思われます。「海道一の弓取り」と呼ばれた名将、今川義元の目に狂いはなかったのです。

もっともこのとき、元康は弱冠18歳。経験不足は否めません。しかし、このピンチをチャンスに変えていくのです。

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