「海外駐在に関しては内定前にあらかじめ説明されていましたが、結果的には我慢できなかったですね。しっかり言語化して考えていたわけでも、明確な不安があったわけでもないんですが、やっぱり20代前半の1年間ってめちゃめちゃ大きいし、忙しく働く中で時間の大切さを感じていたというか」
QLCに陥る若者は年齢とともにとれるリスクが減っていく感覚に非常に敏感だ。30代・40代になって振り返れば20代の数年間の忍耐など短いものだが、若者の1年を同じ重みや時間感覚で捉えるべきではないだろう。
もっとも、ネトゲに時間を費やしていた頃からは想像できないような意識と言えなくもないのだが、木原さんの場合、留学先での経験も当時の焦燥感の要因だったようだ。
「中国の日本人留学生のコミュニティーって、私の頃は全体的に少し落ちぶれた感のある人も多かったんですが、やはり中には英語がもともと堪能で、名門大学で第三言語として中国語を選択し、留学しているような優秀層もいて。とくに帰国後はそういう人たちと自分を比べてしまいがちなところはあったかもしれません。
新卒で入社した専門商社では完全に日本語で取引先とやりとりする国内向け業務をしていましたが、残業や休日出勤も多く、どんどん周りに置いていかれる感覚がありました」
台湾で見つけた家庭教師という「天職」
「2社目の会社は台湾人観光客を関西の観光施設に呼び込むため、台湾の旅行会社などに契約先の宿泊施設や飲食店を売り込み、それに付随して広告などの翻訳や通訳をする仕事でした。
なんでも屋だったので大変は大変で、給料もフルタイムで月10万円程度と前職の半分以下でしたが、台湾では普通に生活できる収入で、零細企業時代のほうがやりたいことをできている充実感はありました」
しかし、入社1年半で会社の業績が行き詰まり“現地解散”。そのまま台湾に残り、旅行業の企業へ転職。コロナ禍を経て、現在は台湾のフィンテック企業に勤める。
「事実上の倒産で、『もし帰国するなら関連企業に紹介するけど、現地に残るなら自分で仕事を探してほしい』とのことでしたが、もともと好き好んで海外で働いていたので、とくに暗い雰囲気はなかったです。
給料10万円で台湾に出向していたので、副業として自分の語学力アップも兼ねて日本語の個人家庭教師を台湾で始めたんですが、会社が解散する頃には当時の本業と同じくらい稼げるようになっていたのも大きかったですね」
現在も家賃3万円(エレベーターなし・5階)の部屋に住みながら、毎月20万円ほどを投資資金に当てているそうだが、その財源となっている家庭教師の副業は、彼にお金以上の充足感を与えてくれているようだ。
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