「赤ちゃんがかわいい」が自己肯定感につながる訳 役に立たない自分の存在を認められるかがカギ
シマウマの赤ちゃんは生まれて10分もすると自分の足で立つことができるようになり、1時間もすると自分で走れるようになる。これに比べて生まれたての人間の赤ちゃんは、呼吸や排泄以外は自分で何も行うことができない。
この「何もできない」赤ちゃんに対して親や祖父母が無条件で抱く愛情、その愛情を自分に対して抱くのが、私が定義する自己肯定感だ。それは、テストで100点を取れるからでも、その子がスポーツがよくできるからでも、親の言うことをよく聞くからでもない。なんの条件もなく、ただ目の前の赤ちゃんという「存在」に対する愛おしい気持ちだ。
この「存在レベルの愛情」こそ、「ありのままの自分を無条件に受け入れ、愛すること」に他ならない。
あらゆる自分を無条件に受け入れ愛すること
そこには、良い自分も、悪い自分も含まれる。調子がいいときだけではなく、人にひどいことを言ってしまった自分、逆に人からひどい仕打ちを受けた自分、仕事で大失敗した自分、勇気がなくて行動できない自分、落ち込んでいる自分、病気で何もできない自分、すべてが含まれる。過去も含めてありとあらゆる自分を無条件に受け入れ愛すること、それが真の自己肯定感だ。
人間の赤ちゃんが何も自分1人でできない状態で生まれてくるのは、我々大人に無条件の愛とはこういうものだということを教えてくれるためなのではないかと思う。無事に生まれてきてくれたというだけで、「存在そのもの」を愛し、無条件に喜んだのに、大人たちは、子どもが歳を重ねるに連れ、いつの間にか「無条件」ということを忘れてしまう。
勉強をしたら愛するけれど、勉強をしなければ愛さない。自分の命令に従えば愛するけれど、従わなければ愛さない。さまざまな大人のマイルールを当てはめて、子どもをジャッジし始める。
そこで神様は、私たちに無条件の愛を学ぶ機会をもう1つ与えてくれている。それは、年老いて寝たきりになり何もできなくなってしまった親あるいは祖父母への愛だ。ここで我々は再び「存在そのもの」への愛を思い出す機会を与えられる。
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