「赤ちゃんがかわいい」が自己肯定感につながる訳 役に立たない自分の存在を認められるかがカギ

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私の母方の祖父は開業医だった。

長い間田舎にある自宅で診療していたが、60代になってから一念発起し、電車で20分ほど離れた三重県の四日市という少し大きな街の駅前のビルの一室に診療所を構え、毎日通勤を始めた。内科医だった祖父に定期検診してもらうために、電車に1人で乗って四日市まで行ったのは楽しい思い出だ。

そんな祖父が70代後半になって、ある日突然駅のホームで倒れた。心臓発作で一命は取り留めたものの、体の自由が効かなくなり、それ以来寝たきりになってしまった。四日市の診療所も閉鎖された。

介護が必要でも尊敬の気持ちは変わらない

祖父の自宅にお見舞いにいくと、祖父は「情けないわ」と怒ったように漏らした。

一家の大黒柱だった祖父。もう患者を診ることもできなくなり、食事からその他すべて、祖母に面倒を見てもらわなければならなくなった。そんな自分を祖父は責めた。けれども、こんな状態でも祖母はずっと笑顔で、祖父に対する愛情はなんら変わらなかった。私にとっても、大好きな尊敬するおじいちゃんであることに少しも変わりはなかった。

一度寝たきりになっても復活する人が存在する。祖父が何もできなくなった自分をそれでもありのままで受け入れ無条件に愛することができれば、再び手足は動くようになったのだろうか? それは誰にもわからない。

ただわかっていることは、祖父は少なくとも祖母に、母に、そして私たち孫にも、存在そのものを愛するとはこういうことだと教えてくれた、ということだ。

【自己肯定感】と一緒によく用いられる言葉に、「自分は誰かの役に立っている」という気持ちである【自己有用感】、「自分は何かができる」という気持ちである【自己効力感】がある。これら3つを混ぜこぜにして語ることは、実は非常に危険だ。

赤ちゃんも、寝たきりになった親、あるいは祖父母も、機能的な面では正直、誰かの役には立っていない。役に立っていないどころか食事から排泄、着替えまで、ほぼ100%誰かのお世話になっている。だから自己有用感を持つことは難しい。そして赤ちゃんも寝たきりになった親や祖父母も、ほぼ何も1人ではできないから、自己効力感を持つことも困難だ。

これに対して誰の役に立っていなくても、何もできなくても、つまり、自己有用感や自己効力感がゼロに近い状態でも、それでもそんな自分を受け入れて愛するというのが、私が定義する自己肯定感だ。

例えば「お客様に喜ばれて自己肯定感が上がった」というのは、お客様の役に立っているという自己有用感と自己肯定感を混同している例だ。そして、「病気で仕事ができなくなって、自己肯定感が下がった」というのは、自分は仕事ができるという自己効力感と自己肯定感をごちゃ混ぜにしている例。

お客様に喜んでもらう努力は当然する。でも究極的にお客様が喜んでくれるかどうかはお客様次第、自分ではコントロールできない。それと自己肯定感は切り離して考えるべきなのだ。お客様に喜んでもらえても、もらえなくても、喜んでもらう努力をした自分を受け入れ愛するのが自己肯定感となる。

仕事もできるに越したことはない。しかし病気や事故で体が動かなくなり仕事ができなくなっても、自分の価値は何1つ変わらない。それでも自分には価値があるし、自分が大好きだと思えるのが鋼の自己肯定感だ。鋼の自己肯定感とは、一度上がったら二度と下がらない屈強の自己肯定感のことである。

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