1990年代の初めに存亡の危機に立たされながら見事に復活したIBMの経験は、日本経済再生の方向付けと方策を考える際に貴重な参考になる。
70年代までのコンピュータは、メインフレームと呼ばれる1台数億円もする大型機だった。それを使用できたのは、大企業、政府、大学などに限られていた。その環境下で、IBMは圧倒的な地位を築いていた。特に重要なのは、64年に発表された「システム360」である。
この開発には、原爆開発の「マンハッタン計画」を上回る資金がつぎ込まれた。まさにIBMの社運をかけた大事業だったのだ。高性能のIC(集積回路)を使用しているため信頼性が高く、またコンピュータと周辺機器のファミリーに完全な互換性があるという点で、画期的なシステムであった。この成功によってIBMは、コンピュータの世界で他社の追随を許さぬ地位を固めた。
ところが80年年代になって、UNIXを使うワークステーションや、マイクロソフトのOS(基本ソフト)を使うPCが登場し、メインフレームの地位が脅かされるようになった。これがIT革命(の第1段階)にほかならない。
下表には、日本におけるメインフレームコンピュータの価格と生産台数の推移が示されている。90年代後半以降、生産台数は減少し、2007年には97年の10分の1未満になった。メインフレームコンピュータに全面的に依存するIBMが、深刻な危機に陥ったのは当然である。
93年1月に発表されたIBMの92年度決算の赤字は、約50億ドルに上った。91~93年度の累積損失は150億ドルを突破し、企業の損失額としては過去最高を記録した。誰の目にも、IBMに将来はないと映った。
IBMには、昔と変わらぬ優秀な技術者が多数いた。問題は技術が劣化したことではなく、環境が大きく変化したことなのである。そして、それに対してビジネスモデルを転換できなかった。つまり問題は経営にあったのである。