これに戸惑ったのは、倒幕勢力である。孝明天皇を失い、追い詰められたはずの慶喜が、思わぬリーダーシップを発揮すると、警戒する声があちこちであがった。
「実に家康の再生(再来)を見るがごとし」(長州藩・桂小五郎)
「てごわい政敵」(公家・岩倉具視)
「一筋縄ではいかぬ男」(土佐藩・坂本龍馬)
そんななか、薩摩藩の大久保利通は特に論評をしていない。慶喜を見くびっていたわけではない。むしろ逆で「何を今さら」という気持ちがあったに違いない。薩摩藩が何度、慶喜にしてやられてきたことだろうか。それを最も多く目の当たりにしてきたのが、大久保である。
現に、将軍空位となった4カ月間も、大久保は公家の岩倉具視の力を借りながら、慶喜の将軍就任を阻止すべく動いていた。
長州に対する処遇問題を理由に、朝廷が大名を召集するべきだと主張。諸大名を集めてさえしまえば、あとは力がある者が会議をリードできるはずだ。そう考えた大久保はこれを機に、幕府ではなく天皇を中心とした、諸大名による新しい政治体制へと一新させてしまうつもりだった。
大久保のもくろみを打ち砕いた慶喜
だが、その空気を敏感に察した慶喜が、右腕である原市之進を動かして、朝廷を工作。慶喜が主導する会議へと捻じ曲げてしまい、大久保のもくろみは打ち砕かれてしまった。
将軍に就任した慶喜の実力に周囲が舌を巻くなか、大久保だけは騒がず、慌てず、ただ次の一手を考えた。どんな困難な壁でも、気持ちを切らすことなく、何度、煮え湯を飲まされてもあきらめない。その泥臭さがこそが、大久保の最大の武器である。
大久保は、慶喜を何とか追い詰めるべくイギリスと連携。慶喜が約束した「兵庫開港」について、「早くせよ」と外圧をかけるように働きかけた。その一方で、島津久光、山内豊信、伊達宗城、松平慶永らの四侯と連携して、慶喜にこう迫らせたのだ。
「兵庫開港の問題より、長州処分を最優先せよ」
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