実は口約束?歴史動いた「薩長同盟」の意外な真実 「薩摩と長州が共に戦う」という条項もない

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薩長同盟を結んだ薩摩藩の西郷隆盛(左写真:ik-y/PIXTA)と長州藩の桂小五郎( 右写真:amaguma/PIXTA)。その仲立ちをしたのが坂本龍馬(中写真:kaoru-s/PIXTA)
倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
大久保利通は、はたしてどんな人物だったのか。その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第18回は、敵対していた薩摩と長州がなぜ同盟を結んだのか、その背景についてお届けする。
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<第17回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだが、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた。
ところが、戻ってきた西郷は久光の上洛計画に反対。勝手な行動をとり、再び島流しとなる。一方、久光は朝廷の信用を得ることに成功。大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫るため、朝廷側のキーマンである岩倉具視に「勅使派遣」を提案。それが受け入れられ、勅使には豪胆な公卿として知られる大原重徳が選ばれた。
得意満面な大久保を「生麦事件」という不測の事態が襲うが、実務能力の高さをいかんなく発揮し、その後の薩英戦争でも意外な健闘を見せ、引き分けに持ち込んだ。
勢いに乗る薩摩藩。だが、その前に立ちはだかった徳川慶喜の態度をきっかけに、大久保は倒幕の決意を固めていく。閉塞した状況を打破するために尽力したのが、2度目の島流しになっていた西郷の復帰だった。復帰後、西郷は勝海舟と出会い、それまでの長州藩討伐の考えを一変させる。

西郷隆盛と坂本龍馬の出会い

幕臣の勝海舟と薩摩藩の西郷隆盛は、お互いに一目会った時からひかれあうものがあった。勝は西郷を「天下で恐ろしいものを見た」と驚愕し、西郷は勝を「一体どれだけ智略のある方なのか、まるで見当もつかない」と感服している。勝の思想に刺激された西郷は、考えを一変させた。

「幕府とともに長州藩を討つのではなく、むしろ長州藩と手を組んで幕府を倒す」

それは、すったもんだの末、幕府と朝廷の体質にあきれて見限った大久保利通にとっても、理想的なビジョンだった。人と人との出会いが、時代を変える。西郷と勝の出会いは、幕末における名場面の1つだろう。

あまりに勝が西郷をほめるので、勝の弟子である土佐藩の坂本龍馬も西郷に会いたがった。勝の紹介によって、2人の対面が実現する。初対面での西郷の印象を、龍馬はこう語っている。

「西郷という奴は、わからぬ奴でした。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿ならとんでもない大馬鹿者で、利口ならとんでもない利口者でしょう」

龍馬の人物評に勝は「坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ」と答えている。腑に落ちるものがあったのだろう。勝と同じく、龍馬もまた西郷を相手に胸襟を開いて、親しく付き合うことになる。

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