西郷隆盛ら倒幕派は大困惑「大政奉還」意外な裏側 徳川慶喜にとって起死回生の一策だった

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武力による倒幕を狙っていた西郷隆盛(左)と大政奉還を決断した徳川慶喜(左写真:ABC/PIXTA、右写真:akg-images/アフロ)
倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
大久保利通は、はたしてどんな人物だったのか。その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第20回は徳川慶喜が大政奉還を決断するに至った事情についてお届けする。
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<第19回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだが、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた。
ところが、戻ってきた西郷は久光の上洛計画に反対。勝手な行動をとり、再び島流しとなる。一方、久光は朝廷の信用を得ることに成功。大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫るため、朝廷側のキーマンである岩倉具視に「勅使派遣」を提案。それが受け入れられ、勅使には豪胆な公卿として知られる大原重徳が選ばれた。
得意満面な大久保を「生麦事件」という不測の事態が襲うが、実務能力の高さをいかんなく発揮し、その後の薩英戦争でも意外な健闘を見せ、引き分けに持ち込んだ。
勢いに乗る薩摩藩。だが、その前に立ちはだかった徳川慶喜の態度をきっかけに、大久保は倒幕の決意を固めていく。閉塞した状況を打破するために尽力したのが、2度目の島流しになっていた西郷の復帰だった。復帰後、西郷は勝海舟と出会い、それまでの長州藩討伐の考えを一変。坂本龍馬との出会いを経て、薩長同盟を結び、大久保と西郷は倒幕への動きを加速させる。

倒幕に向けてまとまることの難しさに直面

旧態依然とした江戸時代に終止符を打った「明治維新」。無血革命として高く評価されているが、昨今は「薩摩と長州による大義なきクーデターにすぎず、かえって江戸時代のほうが優れていたのでは?」と疑問視する声もあがっている。明治新政府の混乱ぶりを知れば「行き当たりばったりの倒幕だったのでは?」と思うのも当然だろう。

だが、そもそも薩摩藩は倒幕ありきで動いていたわけではない。弱体化した幕府をみかねて、有力藩の政治参加を求めたのは、あくまでも幕府を立て直すためのこと。当初から倒幕を目論んでいたわけではなかった。それだけに、何度も徳川慶喜にしてやられた大久保利通が、西郷隆盛とともに武力による倒幕を決意しても、同調してもらうのは簡単ではなかった。

どれだけ弱体化したとしても、綿々と続いてきた体制に終止符を打つのは、誰にだって怖さがある。薩摩藩の国父・島津久光ですら、倒幕には慎重であり、それがゆえに、薩長同盟の内容はずいぶんと腰が砕けたものとなった(第18回『実は口約束?歴史動いた「薩長同盟」の意外な真実』参照)。大久保と西郷からすれば、倒幕そのものの困難さよりも先に、倒幕に向けてまとまることの難しさと直面することになった。

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