一方、慶喜も急いでいた。後藤から幕府に大政奉還の建白書が提出されたのが10月3日。12日には二条城の二の丸御殿に、老中などを集めて政権返還について演説している。翌13日には京諸藩の重臣に通告。さらにその翌日の14日に、慶喜は大政奉還の上表文を朝廷に提出している。
まさに長州に倒幕密勅が下された14日に、慶喜は大政奉還を表明したことになる。さらに慶喜が朝廷に強く求めたため、翌日の15日には受理されることとなった。薩摩と長州がまさに挙兵しようとしたギリギリのタイミングで、慶喜は朝廷に政権を返すことで、武力による倒幕を免れたことになる。慶喜は当時のことをのちにこう振り返っている。
「小松はこの間の消息に通ぜるをもって、ただ今直ちに奉還を奏聞せよと勧めたるものなるべし」(『昔夢会筆記』)
実は、内戦を避けたいと考えた薩摩藩の小松帯刀から、密かにリークがあったことを明かしている。倒幕そのものの前に、倒幕に至るプロセスにも大きな壁がある。真相を知れば、大久保はそう痛感したに違いない。
今度こそ、と思いきや、大久保はまたも慶喜に出しぬかれた格好となった。偽勅が発覚してはまずいと、岩倉具視は10月21日に密勅を取り消すというバタバタぶりを見せている。
政務は結局、慶喜の手に委ねられた
急に政権を返上されても朝廷としては、どうしようもない。結局、政務は何ら変わらず、慶喜の手に委ねられる。それでいて、形式上は政権を朝廷に返しているので、慶喜は自由に動くことができるようになった。
名より実をとった慶喜。大政奉還をするにあたって、こんなスローガンを掲げている。
「皇国の大権を一にし、天下と共同会議、全国の力を尽くして事に従って、海外万国と並び立つべき大業を期すべきなり」
心を同じくしてともに協力して、皇国を保護すれば、海外の万国と並び立つことができる――。この言葉からも、慶喜が大政奉還後も、実質的に国のリーダーであり続けようとしたことがわかる。
それでいて政権は朝廷に戻しているので、武力で打倒されることはもうない。岩倉はすでに倒幕に意義を見出せなくなっていた。ここにきて、大久保も西郷も、どうすることもできなくなってしまったのである。
(21回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
西郷隆盛『大西郷全集』(大西郷全集刊行会)
日本史籍協会編『島津久光公実紀』(東京大学出版会)
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
勝海舟、江藤淳編、松浦玲編『氷川清話』 (講談社学術文庫)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
鹿児島県歴史資料センター黎明館 編『鹿児島県史料 玉里島津家史料』(鹿児島県)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵"であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
萩原延壽『薩英戦争 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄』 (朝日文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
家近良樹『徳川慶喜』(吉川弘文館)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜―将軍家の明治維新増補版』(中公新書)
平尾道雄『坂本龍馬 海援隊始末記』 (中公文庫)
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