「不安になりにくい人」がやっている日々の習慣 「いつでも仮面を外せる」ようにしているか
羽賀:大学時代はずっとモヤモヤしていました(笑)。
佐渡島さんに作品を持ち込んでマンガ家になったときが、精神面は一番すっきりしていましたね。客観的に見たら「就職もせずに大丈夫か?」と不安に思われるだろうけれど、僕としては「自分を見つけてくれた人がいた!」といううれしさがありました。頑張れる場所ができたことのほうが大きくて、「マンガ家としてやっていけるかどうか」という不安感は、それほどなかったです。
佐渡島:人は、自分が所属する「安全・安心なコミュニティ」が3つか4つあると、生きていくうえで安定したバランスを保てると言われているけれど、羽賀君にとってはそれが『コルク』であり、かつての『宇宙兄弟』であり、『コルクスタジオ』なわけだ。
羽賀:そうですね。今この場所がなくなるのは、ちょっと怖い気がします。
佐渡島:ただ僕としては、「自分の役割」から生まれる「安心」については、「自由」と引き換えでもある気がするなあ。たとえば、羽賀君がアシスタントチームというコミュニティの中で役割を果たすことと、自分の思うままに作品を描くことは異なるから。どちらが悪いとかではなく、自分が「安心」を抱く対象がなんなのかは、意識しておいたほうがいいのかもね。
「安全・安心なコミュニティ」は江戸時代にも存在した
石川:コミュニティについての話になるんだけど、江戸文化研究者・田中優子さんの著書に『江戸はネットワーク』(平凡社)というのがあって、これがすごく興味深い内容だった。
この本の中で、江戸時代には「連」というコミュニティが数多く存在していて、この膨大なネットワークを利用して情報が行き交い、豊かな文化が誕生していったのだと言及されている。かの松尾芭蕉も連句(※五・七・五の長句と七・七の短句を交互に詠み交わしていくもの)が得意で、訪れた各地で出会った人たちと句を詠んでいたら有名になり、それで食べていけるまでになった人でしょ(笑)。
連に所属している人たちはいわゆるペンネームのような「号(俳号)」を持っているのだけれど、文化人ともなると、連ごとに違う30から40もの号を持っていた。これはある意味、「一貫した自己なんて別に無いよね」という考え方とも取れる。40の連コミュニティに属していれば、40の自分が存在するということだから。