米国人記者が見た「特攻」と裏にある愛国の危うさ なぜ無駄死にすることが美徳となったのか
戦闘機を長時間飛行させた日本の戦い方への疑問
私はこれまでに多くの元兵士や遺族にインタビューした。その中で愛国を考えるときに思い出す人が2人いる。1人は元零戦パイロットで、ガダルカナル島から日本へ帰還した原田要さん、もう1人は木村さんという男性だ。
もう30年ほど前のことになるが、私は日本に留学し英会話を教えるアルバイトをしていた。木村さんはそのときの生徒で、当時60代だった。木村さんのお兄さんは高校生のときに徴兵され、九州の知覧でパイロットの勉強をするよう命令された。知覧は特攻の出撃基地だ。その後、沖縄に攻撃に出て帰ってこなかったという。
お二人から聞いた話の中で、私が大きな疑問をもった箇所がある。
原田さんのほうから説明したい。原田さんは小隊長としてガダルカナル島へ出撃していた。日本軍は1942年1月から2月にかけ、ニューブリテン島最大の都市ラバウルを、南方戦線を展開していくうえでの要衝としていた。
ラバウルからガダルカナル島までは直線距離で約1000キロ。零戦で2時間強かかる。ラバウルへ戻ることも考慮に入れなければいけない。零戦の積載燃料や航続時間を踏まえれば、ガダルカナル島の上空で戦える時間は10分から15分にすぎない。
日本軍はなぜこのような戦い方、つまり戦闘機を長時間飛行させたうえで、短時間で陸上部隊を支援させる戦法を南方戦線の中心にすえたのだろう。パイロットには心身両面で、大きな負担となる。パイロットは大切な人材のはずだ。
木村さんのほうで言えば、戦死を前提とする「十死零生」という言葉とともに、戦闘機による体当たり攻撃を日本軍が命じ、兵士たちが従ったのはなぜなのか。兵士といっても10代の若者も含まれていた。
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