当初は、号によっては200ページ以上ある自分の担当ページを作るだけで四苦八苦していたが、「ディレクター」という肩書を得た以上、ほかの編集部員が手掛けるページにも責任を負う必要があると、今ではすべてのページに目を通し、部員に編集指導を行っているそうだ。
夫とキャリアの「勝負どき」を譲り合う
40歳を過ぎてから、暮らしや生活も大きく変えた。
「38歳のとき産んだ末っ子が1歳になった頃、家族が疲れてきちゃったのです。それもそのはず。親である私や夫が忙しすぎて、まだ眠い子どもたちを、朝早くに一度起こして、両親の家に移動させ、そこから学校や保育園に行かせるなんてことをしていたのですから」
そこで、大草さんは当時、米軍基地内で公務員の仕事をしていたご主人にある提案を持ちかけた。
「『もしよかったら、家にいる生活はどう?』と、聞いてみたのです」
それに対し、ご主人は、こう答えてくれたと言う。
「君は今、キャリアの勝負期だから仕事に全力投球したほうがいい。そのために、自分が家庭生活をサポートする」
そのとき、大草さんの頭に、こんな思いが去来したそうだ。
「自分ひとりの単位でキャリアを考えるのではなく、ファミリー単位でキャリアを作る『ファミリーキャリア』という考え方もアリだなと思ったのです。夫婦がお互いに活躍する時期を譲り合い、私が仕事を頑張る時期は夫に家庭に入ってもらい、彼が仕事に全力投球したいときは、私が譲る、そんな考え方があってもいいじゃないと」
この決断は正しかったと、大草さんは胸を張る。
「私は一家の大黒柱として、ますます覚悟を決めて仕事に挑むようになったおかげで、仕事の集中力が高まりました。そして何より、家族の心が落ち着いた。子どもたちの情緒が安定したことがいちばんよかったですね」
ご主人がまた「働きたい」と感じたら、今度は大草さんが仕事量をセーブして、いつでも彼を支える覚悟だそうだ。
一方で、今後やってみたいこと、発信したいことも、たくさん頭の中にあるようだ。
「日本ではまだまだ、若さが美徳の文化。だから、中年になると無理して若作りする人も多い。でも、私は女性の美しさのピークは60歳だと本気で思っていて、中年、壮年の熟練を重ねたおしゃれを提案していきたい。雑誌や書籍で、そんな私の思いを発信をしていくほかは、自分のブランドで自分の理想の洋服を作ることもしてみたいですね」
大草さんは、「40歳キャリアクライシス」を、「過去の余韻で生きるのではなく、大胆に変化する」という選択で乗り超えた。
「5年ワンキャリア」説を唱える大草さんは、42歳になる来年には、ひとつのキャリア期間に区切りがつく。その後の5年は、どんな大草さんが見られるのか。その“変化”に期待したい。
(撮影:今井康一)
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