「40歳前後」の世代は、まだ少しは残った若さと、これまで培った経験が買われて、いわゆる「働き盛り」。だが、キャリア人生がひとつの山だとするなら、後は下り坂かと考えると一抹の不安を覚える年齢でもある。
体力も気力も発案力にも陰りが見えるこの世代。定年60歳時代ならいざしらず、70歳まで働くのが当たり前ともなれば、下り坂をどう逃げ切るかという戦略も通用しない。
われわれは、今後、どのように働き、自分の居場所を確保すべきなのか? 前回記事に続き、人気スタイリスト大草直子さんの「40歳クライシス」と、その乗り越え方について取り上げる。
■前編:「大草直子さん、怒涛の”40歳越え”を語る」はこちら
2度目の結婚で、沖縄移住を決意するが……
今や人気スタイリスト、編集者として、確固たる地位と知名度を手にした大草直子さん。だが、前回記事のとおり、彼女の20代後半は、出版社退職、遊学、出産、結婚、離婚と、激動の時代だった。
目まぐるしい変化の中、雑誌『GRAZIA』でフリーのエディターとして働き始めた大草さん。30歳を過ぎると、編集部での存在感は少しずつ、増していった。
「巻頭ページを担当し、シャネルやエルメスなどビッグメゾンのコレクションに招待されるスター・スタイリストがいる一方で、私は地味な後半のページを粛々とやっていました。でも、33歳のとき、例年『来年もよろしくね』という内容だった編集長からの年賀状に、『あなたのスタイリング好きよ』と書いてあって。もしかしたら私は評価されていないと思っていたのに、評価してくれているのだと、飛び上がるほどうれしかったですね」
28歳から『GRAZIA』編集部に出入りして5年目の“快挙”だった。
「やっぱり5年ワンキャリア。5年、死に物狂いで修業すれば次が見えてくる、と思いました」
この頃、大草さんはプライベートでも大きな変化を経験していた。再婚と第2子の出産だ。
「夫のチャーリーは、昔から知っていたサルサ仲間でした。離婚でクサクサしていたとき、憂さ晴らしで友達と行った沖縄のサルサバーで、そこのオーナーになっていたチャーリーと再会したのです。昔から気になる人だっただけに、すぐに遠距離恋愛が始まりました」
交際して1年半後の32歳のとき、第2子の長男も授かり、結婚した。また、遠距離結婚かと思いきや、このときは、そのチョイスはなかったと言う。
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