大草さんによると、スタイリストには特定顧客の専属でスタイリングをするなど「黒子」に徹するタイプと、自分の名前でメッセージを発信する「発信者」タイプの2種に分かれるという。大草さんは、考えた末、後者であることを極めると決めた。なぜなら、読者に伝えたいメッセージがアタマの中にすでにいっぱいあったからだと言う。
「会社を辞めることも、結婚も出産も離婚も再婚も、いろいろと人生経験を重ねた私は、以前のように『体面重視』の価値観から開放されていました。
人は、離婚したからダメ、会社を辞めたからダメではなく、全員の人生がそれぞれにすばらしいんだと感じるようになっていたのです。それはオシャレも同じ。
ファッション誌は、スリムで美しい人ばかりが登場しますが、われわれは別に9号のパンツが入らなくたって、いいじゃないか。40歳になって顔がくすんで黒のタートルネックが似合わなくなったっていいじゃない。胸が垂れてもシミができてもいいじゃない。自由になるおカネがあまりなくって、服がいっぱい買えなくたっていいじゃないと、心の底から思いました。
また、おしゃれな人=センスのいい人と決めつけられがちですが、おしゃれとはすべての人が享受できる権利であり、センスがなくとも考える力、すなわち知性があれば楽しむことができるんだということを、伝えたかったのです」
ファッション誌は、毎号毎号、ブランドの新作を紹介し、あれも欲しい、これも欲しいと読者の欲望を刺激する。また、ダイエットや美容のページが満載で、われわれに「美しくならなければ」とプレッシャーをかける。
その仕掛け人であるはずのスタイリストが、「別に服をいっぱい持っていなくてもいい」「やせなくたっていい」と、普通の女性の現状を丸ごと肯定したことは、革命的だった。だからこそ、大草さんは、スタイリストとしては、かつてないほどのファンを獲得したのだろう。
やってきた「5年ワンキャリア」の区切り
30代後半で、雑誌の看板スタイリストにして、ベストセラー作家に飛躍した大草さんだったが、もちろんつねに順風満帆だったわけではない。
丸10年誌面作りに貢献した『GRAZIA』も、あっけなく卒業することになった。
「お世話になった編集長が別の雑誌に異動され、新編集長が就任した途端、雑誌のカラーが変わった。そのタイミングで、私、クビになったのです」
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