30代前半でワタミファームの社長に
塩野:そしていよいよワタミから、ワタミファームに行って農業ですか。
木村:渡邊さんが社長から外れるタイミングで、役員も大きく変わるタイミングでした。僕は本社から外れてワタミファームに行き、そこで社長になりました。でも僕はマネジメント力も農業の経験も足りないので、なかなか難しかった。役員と社長では全然違うと思いました。
塩野:ああ、それはよく言われることですけど、何が違いますか。
木村:やっぱり社長はみんなの心の拠り所にならなきゃいけない。それまでの持ち株会社のCFOや取締役だといっても、トップと比べればお気楽なポジションだったと痛感しました。
塩野:なるほど、暴れん坊ポジションはお気楽だった。そのときは何歳でしたか。
木村:33歳か34歳ですね。
――ワタミファームは何人ぐらいの会社だったのですか。
木村:農場長というポジションの人が9人、本部の役付きが2~3人だから、マネジメントが12人くらい。正社員が20人くらいいて、アルバイトを入れると200人ぐらいですね。
塩野:200人のモチベーションを上げるのは大変ですよね。
木村:まあ、全然うまくできませんでした。農場長以上の人たちとの意思疎通も難しかった。僕が横から来ちゃったというところもあったので。
塩野:それでそのあと、どうなっていくのですか。
木村:ワタミファームを大きく変えたかったけれど、なかなか成果も発揮できず、ワタミもサクセッションの時期で、新しい挑戦ができにくいタイミングで悶々としていたところへ、渡邊さんが都知事選に出馬することになりました。渡邊さんが都知事になったら、たぶん都の職員との間に通訳が必要だろうし、私自身その挑戦にはとてもワクワクしたので、選挙の準備部隊のほうに入りました。
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