”波瀾万丈のキャリア”から僕が学んだこと

【キャリア相談 特別対談】 塩野誠氏×木村敏晴氏(下)

 何かにつけ不確実性の高い現代。一生安泰の仕事も、未来永劫つぶれない企業も存在しない。 自分の仕事に明日があるのか――それをつねに考えておかないといけない時代だ。 この連載では、悩めるビジネスパーソンからのキャリア相談を募集。外資系金融、コンサル、ライブドア、企業再生コンサルなどを渡り歩き、数多くの業界やスタートアップに精通する塩野誠・経営共創基盤(IGPI)パートナーに、実践的なアドバイスをしてもらう。
 今回は特別版として、東大法学部卒業後、外資系コンサルティング会社、ワタミを経て、農業の世界に飛び込んだ、木村敏晴氏とのキャリア対談をお届けする。
※対談前編:「東大、外資コンサルを経て、農家になった男」はこちら

 30代前半でワタミファームの社長に

塩野:そしていよいよワタミから、ワタミファームに行って農業ですか。

木村:渡邊さんが社長から外れるタイミングで、役員も大きく変わるタイミングでした。僕は本社から外れてワタミファームに行き、そこで社長になりました。でも僕はマネジメント力も農業の経験も足りないので、なかなか難しかった。役員と社長では全然違うと思いました。

塩野:ああ、それはよく言われることですけど、何が違いますか。

木村:やっぱり社長はみんなの心の拠り所にならなきゃいけない。それまでの持ち株会社のCFOや取締役だといっても、トップと比べればお気楽なポジションだったと痛感しました。

塩野:なるほど、暴れん坊ポジションはお気楽だった。そのときは何歳でしたか。

木村:33歳か34歳ですね。

――ワタミファームは何人ぐらいの会社だったのですか。

木村:農場長というポジションの人が9人、本部の役付きが2~3人だから、マネジメントが12人くらい。正社員が20人くらいいて、アルバイトを入れると200人ぐらいですね。

塩野:200人のモチベーションを上げるのは大変ですよね。

木村:まあ、全然うまくできませんでした。農場長以上の人たちとの意思疎通も難しかった。僕が横から来ちゃったというところもあったので。

塩野:それでそのあと、どうなっていくのですか。

木村:ワタミファームを大きく変えたかったけれど、なかなか成果も発揮できず、ワタミもサクセッションの時期で、新しい挑戦ができにくいタイミングで悶々としていたところへ、渡邊さんが都知事選に出馬することになりました。渡邊さんが都知事になったら、たぶん都の職員との間に通訳が必要だろうし、私自身その挑戦にはとてもワクワクしたので、選挙の準備部隊のほうに入りました。

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