”波瀾万丈のキャリア”から僕が学んだこと

【キャリア相談 特別対談】 塩野誠氏×木村敏晴氏(下)

都知事選のサポートを経て独立

塩野:都知事選はいかがでしたか。

木村:本当に予期せぬことがたくさん起きました。裏話がいっぱいありますよ。

――何か面白い裏話、ひとつだけ教えていただけますか。

木村敏晴(きむら・としはる)
1977年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、 Bain & Company(東京、ロンドン)勤務。その後、ワタミに入社し、取締役CFO、ワタミファームCOOを歴任。 現在軽井沢を基点に、 農業およびその周辺ビジネスを行うとともに、 若者の新規就農支援、農業生産法人支援等を行う

木村:まあ、裏話なんで言えないことばかりなんですが……。

これは、調べればすぐわかることですが、皆が現職の石原さんが出馬しないと思っている中で、後から急に出られた。石原さんが出る出ないで選挙戦略は全然、変わって来たと思います。これはあくまで個人的な考えですが、石原さんが出るのなら、「バリバリの経営者に任せれば予算3兆円削ります。そこから日本の財政再建が始まります」ぐらいハッキリ発信したほうがよかったかもしれない(笑)。そのぐらいの覚悟はあったと思うので。

塩野:そうですか。でも34、35歳でかなりの経験を積みましたね。そこからご自分の会社を創業します。やっぱり自分でやってみようと思ったのですか。

木村:そうですね。当時は創業とか、そこまで大きいことを考えていたわけではありません。自分がアントレプレナータイプだと思ったことは一度もないのですが、かといってどこかに就職するのは、当時、イメージが湧かなかった、というだけですね。

塩野:安定よりも、自分が一から作るほうを選んだという感じですか。

木村:まあ、まず原点に帰るというか。ワタミファームといっても横滑りでマネジメントだったので、まずは「野菜を作る」という根っこから始めたかった。

塩野:それはいい。食糧を持っているのは人生最大のリスクヘッジですね。独立してからはどうですか。

木村:独立してからも右往左往でした。ただ農業をやってみたいというだけでは収入も安定しないので、年間100日までと決めて、研修みたいな人材育成の仕事もしています。コンサル時代の経験と、ワタミ時代の幹部育成を合わせたようなコンテンツですが、もがきながら、なんとかできています。若手の元気な農家との出会いもいっぱいあって、今は一緒にインドネシアでコメを作るなど、事業らしいこともさせてもらっています。

何を作るかは戦略的に選んだ

塩野:農業をやるにあたって東京を離れ、いくつか土地を転々としましたよね。

木村:そうですね、どこに住むかはとても大切な決断だと思います。私の場合は、農業一本だと厳しいので、なんとか兼業農家で成り立たせようと思っていました。だから、東京に通えないところに移住する踏ん切りはつかなかった。

兼業農家は普通、平日はほかで働いて土日に農業ですけど、僕は農業がメインで農閑期に出稼ぎするというイメージの兼業農家をやりたいと思った。そのためにも冬は時間が空いて、夏が勝負みたいなメリハリのあるところがいいなと思った。ワタミファームの本社が千葉だったので、最初千葉に行きましたが、千葉だと冬は暖房を炊きながら1年中農業を頑張らなきゃいけない。それで独立してからは長野の軽井沢に行って、1年目はセロリとニンニクを戦略作物として選びました。

塩野:戦略作物?

木村:スーパーに売るために、同じものをたくさん作って、しかも収支も成り立ちそうな作物ということですね。

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