30代後半、ある映画会社で抜群の待遇で処されていた泉川さん。だが、偶然の出会いに導かれ、泉川さんは、イケアというまったく違う職場に転じることになった。
「それが面白い話でね。当時、私が勤めていた会社と同じビルにイケアが入居してきたのです」
当時のイケア・ジャパンは、従業員20人程度の小さな組織。日本人の社員は経理担当者が2人と、店舗開発者が1人の計3人しかいなかった。そして、泉川さんは、そのイケア・ジャパンが人事部長を探していると、古くからの知り合いである、ヘッドハンターから聞かされた。
「でも、上陸したての外資系ゆえ、撤退リスクを心配して、なかなか候補が見つからないと言うんです。ついては、面接だけでもいいから受けてくれないか?と。『やだよー』と抵抗したのですが、彼女があんまりに『玲香ちゃんとイケアは合う、合う』と言うものですから、『話を聞くだけよ』といって、お会いすることにしたのです」
こうして、泉川さんは同じビルのイケア・ジャパンの門戸をたたいた。そして、イケアの人の話を聞くうちに、たちまち「私はここで何かをしなくてはいけない」と使命感に駆られてしまったのだと言う。
イケアの価値感との、運命の出会い
まるで、啓示を受けたかのように、イケアに引き付けられ、転職を決意した理由とは何だったのか?
それは、イケアの「人」。そして、「人に対する考え方」や価値観だったと言う。
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