クビは、どのあたりから意識するか?
高森 勇旗(以下、高森):水野さんは、ついこの間(2019年10月)まで現役で、現在が3月。現役を引退してここまで、どんな日々を?
水野 滉也(以下、水野):本当にあっという間でした。起業すると決めてからは、その準備もありましたし、いろんな人と会っているうちにどんどん時間が過ぎていく感じです。
森 忠仁(以下、森):自分が戦力外通告を受けるかもしれない、次のために準備しなければならないと具体的に考え始めるのって、いつ頃から?
水野:僕の場合はケガ人ということもあり、早めに心の準備はしていました。球団とも事前にお話をさせていただいてましたし。ほかにも通告を受けた選手もいましたが、いきなり言われた、という人もいると思います。
森:最終的に言われたのは、いつ頃?
水野:僕の場合は自分から球団に相談に行ったので、言われた、というのはなかったですね。8月の後半くらいですかね。
奥村 武博(以下、奥村):これは珍しいケースですよね。自分から言いにいくのって。
高森:奥村さんの場合は?
奥村:僕は練習が終わったあと、寮の内線で呼び出されて告げられました(笑)。本当に突然だったから、戸惑って。今のように、育成選手のような仕組みもなかったし。ただ、なんとなく8月を過ぎたあたりから、試合の使われ方とかで感じますよね。
高森:そもそもどんな経緯で戦力外通告は10月1日に統一すると決まったのでしょうか?
森:選手の平等性を確保するためです。先にクビになった選手のほうが、いろんな球団と交渉できる。逆に、日本シリーズまで進んだ球団の選手は、シーズンが終わった11月ごろにクビになる。そうすると、他球団はもう選手を獲得する枠がなくなっていたりします。なので、12球団トライアウトという形になったんです。
高森:森さんの時代に「戦力外通告」っていうシステムはあったんでしょうか?
森:僕の場合は、シーズン中に「審判にならないか?」と勧められました。その後、来季は契約しないと告げられましたが、制度上の通告みたいなのはありませんでした。
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