奥村:僕自身も、選手をクビになってすぐバッティングピッチャーになりました。30、40歳までやって、そのあとスカウトに転身して、みたいなキャリアを勝手に描いていましたが、翌年にクビです。まさか1年でクビになるなんて思ってませんでしたから、かなり焦りました。他球団でバッティングピッチャーをやる道もありましたが、当時23歳だったので、大卒して1浪した年と同じなのであれば、今、社会に出たほうがいいと思って出たのが現実です。
森:球団側も、どういうつもりで球団に残そうとしているかも、知りたいですね。
高森:水野さん、球団の対応はどんな感じでしたか?
水野:昨年解雇された選手の半分はやはり球団に残りましたし、僕自身も、球団に残ってトレーナーの道を提示されました。球団からは、2〜3年球団で働きながら世の中を見つつ、それから社会に出るのもいいのではないかという提案を受けました。それはすごく新しい考え方だなぁと。そういった提案をいただけるのもすごくありがたかったです。
高森:じゃあ、球団の姿勢としてはすごくサポーティブだったんですね。僕のときと全然違う(笑)。
一同:(笑)
高森:僕の同級生の松下一郎さん(DeNA―ブルペン捕手―セールスフォース・ドットコム)や、巨人にいた柴田章吾さん(巨人―ジャイアンツアカデミーコーチ―アクセンチュア―起業)のように、球団職員時代に着実に社会に出る力をつけて、自ら中途採用市場に応募して道を切り開いていく人もいます。彼らがまさに、元アスリートが社会に出ていく美しい事例だと思います。
奥村:彼らのように、外の世界からしっかりと情報収集する姿勢があれば、選択肢が広がる。何よりもまず、選択肢を多く持てるかどうかは、うまくいくための鍵になると思います。
野球界で得たものは社会で生きるか
高森:森さんは辞めたあと証券会社に10年お勤めになった。奥村さんはバイトと勉強を両立して9年で公認会計士になった。プロ野球で得たことは、社会に出てどのように役に立ちましたか? または、役に立たなかったことって?
奥村:社会に出て最初に思ったのは、能力も知識もゼロで「何の武器もないな」ということです。でも、受験勉強に打ち込んだときに気づいたのは、幼稚園のときから野球を始めてプロになるまでのプロセス、要するに、自分をコツコツ成長させていくプロセスはつねにやってたな、ということ。このマインドややり続ける能力っていうのは、ほかの人にはない特徴かもしれません。
次に、「人から見て盗む」という能力。野球やってたときも、「アイツうまいなぁ」と思ったらよく観察してまねしていました。それが、仕事を覚えるうえでも役に立っているかな。あとは、体調管理。体は強いし、コンディショニングを整えたり、集中力を高めたりといったマインドは根強く残っているから、この辺りはほかの人と違うと思います。
高森:確かに、栄養や睡眠、自分の体をピークの状態に持っていくということはひたすらやってきましたもんね。
森:俺たちの時代はそんなものなかったなぁ(笑)。とにかく腹一杯飯食え! だけでした(笑)。
奥村:証券会社って、すごくハードなイメージですが、そこで10年続けるってどんな感覚だったんですか?
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