東池袋の住宅街に建つ「美しすぎる書斎」を探訪

鈴木信太郎記念館内部を360度カメラで撮影

また、信太郎の実家は、祖父の代から神田佐久間町で米穀問屋を営むようにもなっていた。父は二代目で、家業を長女夫妻に委ね、1918(大正7)年、東京郊外であったこの東池袋に移った。

当時の住所は北豊島郡巣鴨村。現在は地下鉄丸ノ内線の新大塚駅がすぐ近くだが、その頃は山手線の環状運転も始まっていない時代。市電(都電)の大塚辻町が最寄りの停留所だった。

この家に移った当時の信太郎はまだ東京帝国大学の学生だったが、翌年には深川木場の材木商の長女と結婚し、大学を卒業。2年後には東京帝国大学文学部の講師となっている。

座敷棟の縁側(編集部撮影)

空襲で焼け残ったのは書斎棟のみ

1945年の空襲で焼け残ったのは書斎棟のみ。一家はその後、書斎に畳6畳を敷いて暮らしていたが、生活空間の再構築を試み、翌1946年には、書斎と接続する敷地に、玄関ホール、茶の間、台所、トイレ、風呂を建設する。

当時の東京は極度の物資不足で、新築建物の建築面積や資材が制限されていたため、あちこちから資材をかき集め、15坪のこのスペースを建てるのが精いっぱいだった。

さらに1948(昭和23)年には、埼玉県春日部市の鈴木本家から、明治20年代築の座敷と次の間を移築。1948年にもまだ建築の制限令は続いていたが、移築はその対象外であり、この移築は春日部に疎開していた信太郎の母を呼び戻すためでもあったと考えられる。

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