丸の内に今も残る85年前の「建築美」を探訪

重要文化財・明治生命館を360度カメラで撮影

東京・丸の内にある明治生命館(撮影:梅谷秀司)
東京23区だけでも無数にある、名建築の数々。それらを360度カメラで撮影し、建築の持つストーリーとともに紹介する本連載。第10回の今回は、千代田区にある「明治生命館」を訪れた。
なお、外部配信先でお読みの場合、360度画像を閲覧できない場合があるので、その際は東洋経済オンライン内でお読みいただきたい。

ここ15年ほどの間、東京駅前、丸の内の風景は大きく変貌した。それまでこの街を歩いていた人のほとんどは界隈に勤める会社員や関係者。通り沿いやオフィスビルの地下に並ぶのは銀行の支店や在勤者たちが昼食に利用する店くらいだった。

しかし2002(平成14)年に丸ビルが建て替えオープンした頃から、丸の内仲通り沿いや新築ビル内にはブランドショップやファッション関連のブティック、カフェやレストランなどが並ぶようになり、東京のトレンドを牽引する街となる。その後東京駅の赤レンガ駅舎や東京中央郵便局も、大正、昭和初期の歴史的建築を保存復元しながらリニューアルし、商業空間化した。

そんな丸の内で、1934(昭和9)年築の明治生命館が修復され一般公開されたのは2004(平成16)年のこと。現在は明治安田生命となっている明治生命は、1881(明治14)年に日本初の近代的な生命保険会社として創業。明治生命館はその本社として竣工した。

建築家・岡田信一郎氏の設計

この建物は、明治以降の日本の西洋建築で、外観、内部に「石」を用いたものでは抜群の傑作とされている。巨大なコリント式柱が並ぶ古典主義様式の外観は、西洋の同時代の建築にもひけをとらないものだった。

明治生命館が建つ以前のこの場所には三菱2号館があった。丸の内には現在、復元された三菱1号館が建っているが、三菱1号館も2号館も明治のお雇い外国人ジョサイア・コンドル氏の設計によるものだ。

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明治生命は三菱2号館を社屋として使用していたが業務が拡張してより広いオフィスが必要となったため、この建物を取り壊して新たに本社を作るプロジェクトに着手。

しかし、関東大震災にも耐えたコンドル建築を解体しての新築とは、かなり思い切った計画だったはずだ。

新たな建物の設計者に選ばれたのは明治末から昭和初期にかけて活躍した建築家・岡田信一郎氏。岡田氏の作品として現存しているものには東京・音羽の鳩山会館〔旧鳩山一郎邸、1924(大正13)年築〕がある。総理大臣を務めた鳩山一郎氏と岡田氏は中学、高校と高等師範学校付属の同級生で友人だった。

また、東京・銀座の歌舞伎座も岡田氏の作品〔1924(大正13)年築〕。しかし第2次世界大戦の空襲で内部が消失し、戦後に岡田氏の弟子である吉田五十八氏によって復興された。現在の歌舞伎座は、吉田氏のデザインを踏襲した隈研吾設計の建物となっているが、その原型は岡田信一郎氏の作品だったというわけだ。

岡田氏の妻は、明治末に一世を風靡した赤坂芸者・萬龍(まんりゅう)であった。東京帝国大学を卒業し、東京美術学校の教授も務め、建築家としてエリートであった岡田氏は、プライベートでもこのように華やかな経歴を持つ人物だった。

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